思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

キリスト教が日本に入れないのはなぜか? わずか0.7パーセント。

2020-05-12 | 学芸

「私たちはすべて被造物であり、これはキリスト教でもイスラム教でも同じです。
私たちの罪がゆるされたという福音をあらゆる人たちに伝えること。
これがミッションです。
ほかは枝葉にすぎない。」

fbで友人のクリスチャンのSさんが、わたしのと討論的対話で言われてた結語で、とても分かりやすいと思いました。

日本でも各種キリスト教会は、幼稚園から大学までたくさんのキリスト教の学校をつくり、布教に努力していますが(Sさんの言う「これがミッションです」)、広がらず、キリスト教徒はわずかつづですが減少していて、現在はすべての派をあわせても70万人台です。全国民の0.7パーセントほどに過ぎません。

キリスト教もイスラム教も、世界を創造した神=創造神が実在するという一神教思想ですが、韓国では60パーセントがキリスト教徒になっているとのことです。

 

「私たちの罪がゆるされたという福音で、これを伝えることが最大のミッションだ」というキリスト教の宗教思想は、

「南無弥陀仏と唱えれば直ちに救われる、また、唱えずとも救われたいと願えば、誰でもが直ちに救われる」という親鸞の驚くべき宗教思想があるために、入れないのだな、と思いました。親鸞はさらに、「都にすむ善人でさえ救われるのだから、悪人はなおのこと救われる」と言い、阿弥陀仏の救いの徹底性を明らかにします。これ以上は不可能な思想の徹底性に感嘆した晩年のハイデガー(20世紀最大の哲学者と言われるが、わたしは、彼の存在論の挫折=敗北宣言により近代西欧哲学は終焉したと見ている)は、親鸞思想に帰依しました。阿弥陀仏の救いとは、救いに特化していて、他の余分な世界観を持ちません。

 一言でいえば、親鸞思想があるために(浄土真宗はわが国最大の宗派)、キリスト教は日本に入れないのでしょう。 
(これは偶然ですが、私の父も祖父も親鸞門徒で修行僧でしたーわたしは違いますが、「恋知」はかなり重なるでしょう)



武田康弘

コメント (2)
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