思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

お受験というイデオロギーは、人間の脳を破壊する。

2020-05-23 | 教育

 
(写真は昨日・クリックで拡大)


 小学生から毎日毎日、丸暗記とパターン知を仕込まれたこども=「芸を仕込まれたアシカ」のような存在が優秀だとすれば、

 それは、機械の優秀さでしかなく、人間の頭脳ではない。ただのAI(とても劣等なAI)に過ぎない。人間とは欲望存在であり、すべての学問も藝術も、原理上、人間の欲望から生まれるので、そのありようのよさ・悪さは、人間の欲望の質を検討することと同義だ。人間存在とAIとは存在仕方がアベコベであることも弁えないのでは、【根源愚か】と呼ぶしかない。

 この究極の土台を無視して出来合いの知を仕込む【お受験というイデオロギー】は、本質次元で、人間の心と頭を殺してしまう。人間性を根絶やしにする悪である。

 人間性を豊かにする頭脳活動は、意味と本質を問う【意味論=本質論】の世界であり、【事実学】というレベルに留まるのでは、生きた人間とその現実に資することがない。形式知にすぎない知は、人間のよき生にとり意味を持たないどころか、害を与える存在だ。

 こういう本質論を理解→了解しないまま突き進むのが受験勉強の世界であり、そこで得られるのは受験知でしかなく、羅列的な暗記とパターン認識という人間性を基から破壊する知だ。それを請け負う受験塾=神学(笑)進学教室とは、恐ろしい存在で、元から人間脳を壊して紋切脳(ステレオタイプ)にするシステムといえる。

 東大教という宗教を奉じる日本という国は、みなが東大病に犯されているために、【理性】という言葉=概念がない。大人(上位者)の言うことに従うのがよいことになり、既成の知を貯め込むことが勉学だとなってしまう。恐ろしいことだ。自分の日々の体験を基にして自分の頭で考えるという最も上位の頭脳活動が抑圧される。もはや狂気=集団狂気というほかない(参議院からの依頼原稿を参照50ページ)だろう。

 【高得点を取る使えない頭の製造所】になり果てているのが、日本の教育機関だが、そのことに無自覚なので、救いがない。物知り=クイズの知が頭のよさを測ると思う国民が大多数という国は、おわっている。


 以下にfbのコメントに応えた短文を載せる。

 わが国最高の作曲家・清瀬保二(県立高校中退)とその愛弟子武満徹(普通科の私立高校卒)は、オリジナリティの塊。

 小説の神様と呼ばれた志賀直哉は、学習院で二度落第・成績は親友の武者小路実篤とビりを争う。ただし当時は学習院から東大へは文科ならば無試験だったので東大に入るが授業にはほとんど出ずに中退。

 小澤征爾は、芸大へは到底入れなく、斉藤秀雄がつくったばかりの桐朋短大(実態は私塾)で、斉藤に師事。

 政界一の実力者だった桁違いの頭脳=生きた頭の田中角栄は、義務教育のみ(実際は小学校しか出ていない)だが、議員立法でつくった法律の数は2番がいない1番。
 左右を問わず最も高く評価される石橋湛山(55代総理大臣)は、田中の師だが、早稲田大学で哲学を学んだプラグマティスト(東大法学部とも哲学科とも対極にある思想)、彼の尊敬した師の田中王堂も学歴者ではない。

 書き出したらきりがないが、

 海外では、天体物理学者で20世紀最高の頭脳と言われたアインシュタインは、高校落第で中退、別の高校に入り直し大学に進むも学業成績は振るわなかった。就職にも失敗し、1年浪人でようやく特許庁の役人になる(友人のコネがあったが初年度はあまりに成績が悪いので落とされた。

 受験知 と 創造的頭脳や理性(総合的思考能力)とは異なるのです。 また、受験知は、日常世界での生きた頭の用い方とも次元を異にします。
こういう基本すら知らないのが今の日本で、ほんとうに情けない。


 武田康弘



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