なんというツマラナイ国か。
秀才や秀才的人間が、頭がいいとされ、重用される。
エロースに乏しく、人間的な面白みがなく、スケールが小さい人間が褒められる。
型ハマリが大人だとされ、こじんまりの組織人がよいとされる。
平面(二次元)頭でしかないので、情報知の集積で「分かった」と思い、そういうレベルの頭がよいと思い込む(東大病・東大教)。
全体像をつかむことが苦手で、立体視ができないということが致命的な欠陥だということを認識できないので、緻密化に一生懸命になるが、それでは、本質からどんどん遠ざかることを知らない。意味論=本質論の世界が分からないので、単なる事実学しかできない。
あらゆる人間の営みは、すべて人間の・己の「欲望」から出ているという人間実存の原理を弁えないいので、何でも知ってる(笑)という物知り競争に走る以外はないが、それは、人間の頭としてはアウトであることに気付かない。
自由でのびのび、豊かで深みのある人間へ向かうこと、他者承認にびくつかない強さを磨くこと、を目がけたいものです。
わたしを輝かす恋知の生=恋知とはなにか?の新装初版をつくりました。PDFでどうぞ。 ほんらい誰もがみな、天才型頭脳をもっているのです。あなたもわたしも。
武田康弘