思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自分で考えるための前提ー2  考えるとは主観性を鍛えること

2022-10-08 | 恋知(哲学)
 自分で考えるための前提ー2  考えるとは主観性を鍛えること

 
 恋知(哲学)として考えるというのは、わたしが考えるということですから、アンケート結果とか、多数派の意見は、というのではありません。
 一般的になにがよいかを考えるのは、政治次元での話です。恋知(哲学)するとは、わたしに深い納得がくるように考えることですから、一般性・客観性をめがけるのではなく、わたしの主観性を深める営みです。
 
 主観を吟味し、透明な意識を獲得するように努めること、今の主観を絶対化し、決めつけないで、冷静な意識をもって繰り返し問う営みが大切です。
 客観とは背理で、すべては主観です。この原理を忘れると、深い自己絶対化に陥り自我主義となります。宗教も形式論理も共にこの罠にはまった思考なので、私=主観の吟味ができません。

 ポイントは、誰でも自分の頭の外には出られないことの自覚です。
 

 武田康弘
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする