自分で考えるための前提ー2 考えるとは主観性を鍛えること
恋知(哲学)として考えるというのは、わたしが考えるということですから、アンケート結果とか、多数派の意見は、というのではありません。
一般的になにがよいかを考えるのは、政治次元での話です。恋知(哲学)するとは、わたしに深い納得がくるように考えることですから、一般性・客観性をめがけるのではなく、わたしの主観性を深める営みです。
主観を吟味し、透明な意識を獲得するように努めること、今の主観を絶対化し、決めつけないで、冷静な意識をもって繰り返し問う営みが大切です。
客観とは背理で、すべては主観です。この原理を忘れると、深い自己絶対化に陥り自我主義となります。宗教も形式論理も共にこの罠にはまった思考なので、私=主観の吟味ができません。
ポイントは、誰でも自分の頭の外には出られないことの自覚です。
武田康弘