思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇現人神!と言い、信じた日本人とは何なのか? 敗戦の8月を迎え、改めて理性の欠如と狂気性を感じる

2014-08-02 | 学芸

 今の日本人であれ外国人であれ、ふつうの多くの人は、
「皇室は神の系譜で、天皇は現人神(生きている神)だ」という思想を知れば、あまりのバカバカしさに言葉を失うでしょう。

 しかし、戦前の日本では学校教育でそう教えられ、天皇や皇室を尊敬=敬愛しなければ、不敬罪という罪で捕まり、拷問を受けたのです。殺された人もいました。
まだわずか70年ほど前のことです。

 こういう思想で日本を一つにし、「愛国教育」を徹底させた張本人の一人が、安倍首相の最も敬愛するという岸信介(安倍首相の祖父)です。対米戦争を進めた東条内閣の重要閣僚でした。

 「戦前思想」(国体思想=靖国思想想)を反省せず、逆に、戦後体制を終わらせる、という安倍首相と「日本会議」のウヨク連合には理性があるのか?ほんとうに不思議で、かつオゾマシイ。

 これほどバカげた思想=生きている一人の男を神とし、それを強要する教育を国家権力を用いて全国民に強制する、となりの韓国も植民地とし、天皇を拝ませ、跪かせる、なんという国家でしょう。

 これがわが日本の戦前の思想であり行為でした。今後、人権思想と民主制を守り発展させることなくしては、日本は永遠に呪われたままです。ふつうの良識をもって、「戦前思想」を退治しなければいけません。言うまでもないことです。


追記

みなさま

上記の当たり前のこと、歴然たる事実は、繰り返し、何十回、何百回、何千回、折に触れ言い続けなければいけないはずです。

とくに、子や孫には、きちんと伝えなければ。

教師や親やジジババの責任重大です。

心して言い続けましょう。細かな話はともかく、このを何より。

武田康弘

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人ではなく国家を先立てる自民党≒日本会議の思想は、民主制の破壊を意味します。

2014-08-01 | 社会思想


 近代市民社会を拓いた民主制は、一人ひとりの人間を対等な存在とみなし、一人ひとりが感じ、想い、考えることに依拠して国の政治と社会をつくるという思想です。言い換えれば、「個人の想念と意思」から出発して、「互いの自由を認め合うことで成立するルール社会」です。

 天皇と皇室を尊敬せよ、とか、君が代を愛せよ、日本ナショナリズムを持て、というような強要・命令がある国は、特定のイデオロギー(この例で言えば明治政府が作った「近代天皇制=国体主義=靖国思想」)に基づく《思想国家》であり、近代民主制とは二律背反です。

 そのような思想を強要する行為は、根源的なレベルでの「公共悪」としか言えず、民主制社会では認められないのですが、昨日の「東京新聞」が報じているように、自民党の幹部が加盟する「日本会議」というウヨク団体は、敗戦により終止符が打たれたはずの戦前思想(伊藤博文や山県有朋らがつくった明治の天皇制=国体主義=靖国思想)を国家権力を用いて復活させようとする危険な団体です。

 明治以来の日本人がもつ「狂気」を感じ、空恐ろしくなりますが、「冷たいヒステリー」が生みだす非人間的な思想は、ふつうの市民の敵としか言えません。このような歪んだイデオロギーが生みだされる大元を断たなければ、形と序列ですべてが仕切られる「人間を幸福にしない日本というシステム」は永遠に続きます。個人は、日本主義の国家に従わされる存在に貶められます。「日本会議」に集まる政財界のウヨク「エリート」(支配者)たちは、いま、安倍首相と共に、日本人という概念を強調して「個人」を否定する憲法案の実現に向けた活動に冷たい情熱を傾けています。

 民主的な生を営む市民にとって、不倶戴天の仇敵というほかない公共悪です。

 

 以下は、日本会議の大まかが分かる「東京新聞」の特報部記事(昨日・7月31日)です。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする