

映画「ボレロ」_(1934)は、主人公ラオールへの兄マネージャーの愛情(彼らは確か異母兄弟!)の話としても面白いが……いろいろな問題が描かれている作品である。ラオールが、第一次世界大戦が始まった時に、「入隊するダンサー」として女性パートナーと一緒に新聞を飾ることによって、自らのダンスの絶好の宣伝期とみなし、ある意味芸術家を貫こうとする──のに対し、パートナーの方は彼が愛国心から入隊する気がないことに失望して彼から離れ、ラオールが戦時中で九死に一生を得ているころに金持ちと結婚までしてしまうのは興味深い。ラオールとその兄は元炭坑夫であり、たぶんブルジョアジーを食い物にしてでものし上がっていこうとしている訳で、ブルジョア世界でのし上がるためには、彼らが喜ぶダンスを踊り、老貴婦人のコネさえも使った。ある種、ブルジョア文化の「婦女子的なもの」は、媒介物として差別されているけれどもそれが階級闘争の道具でもある。媒介物として意識すること自体、それへの差別を乗り越えてゆく第一歩でもあるから、彼らの意識を全否定することはできない。プロレタリア文学とか「西部戦線異状なし」に限らないけれども──信じられるのが同性との連帯感とか愛情だとされている作品については、もっと考えられてよいかもしれない。誰か言っていたけれども、「セメント樽の中の手紙」が、プロレタリアとの連帯と家庭の維持との、両極の女の要求に宙吊りになり身動きがとれない話なのも思い出させる。何が問題なのかを明らかにするためには、ある種の差別的な描き分け方が必要なのである。
そんな、芸術と階級、芸術と戦争、芸術と女の問題であたふたする物語のなかに、面白い場面がある。ラオールはラベルの「ボレロ」を、「原住民の中で踊る白人の男女」の踊りと捉えていて、自らつくった劇場で、背後の高所にオーケストラピットを、円い舞台の周りに黒人達の太鼓隊を配し、上演しようとしていた。(もしかしたらラオールは、「ボレロ」を「春の祭典」みたいなものとしてみていたのかもしれないし、黒人芸術を自分のダンスに同志として取り込みたかったのかもしれない……。あるいは白人と黒人の「関係」を自ら証するつもりだったのかもしれない。)しかし、劇場のこけら落としは、戦争の開始と重なってしまい、ボレロは観客の無視によって中断に追い込まれる。しかるに、戦争が終わったあと、ラオールが劇場を復活させたときに、黒人の太鼓隊はオーケストラピットの直下にビックバンドのように配置される如く変更されるのだが、何か意味があるのであろうか。ここには、ジャズにおける黒人音楽の市民権の推移が見て取れるかもしれないし、前衛芸術に於ける黒人芸術の評価や何かが反映しているかもしれない。展開はされていないが、階級問題と人種問題は手を結ぼうとはしているし……。まあ日本の場合、ゴジラ映画の段階でも「原住民」は南方からの怨念ゴジラのメタファーとか、もっと酷いのになると自然=ゴジラのメタファーだから、のんきなものであるが……。いずれにせよ、元パートナー=失恋相手の白人女性=富豪夫人との最後のボレロを踊って、スケーターズワルツのような西洋文化そのものみたいな曲をアンコールとして踊る前に、戦争で心臓を悪くしていたラオールは、観客の拍手を遠く聞きながら、発作でなくなってしまう。意味深すぎる結末である。昔の映画は、見終わったあといろいろ考えさせる場合が多いね、今の映画は見に行こうか迷うという意味で考えるのが多いけど……。
くどい説明も心理描写もない淡々とした映画にみえるが、「問題」を描くにはこういう感じの方が結局はいいのかもしれない。観客に「コミュニケート」し説得しようとしても、どうせ伝わりゃしないのであるからして……。だいたい、その「問題」は、観客とコミュニケートするほど具体性も処方箋もまだ明らかに出来ないレベル──試行錯誤中なのだ。むりにそれをやろうとすると、上記のわたくしの解説のように、空々しく嘘が混じるのである。