★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

馬と手袋──敵中横断三百里

2012-10-18 15:24:32 | 映画


山中峯太郎の『敵中横断三百里』は読んでないが、映画は以前みた。日露戦争ものである。確か脚本が黒澤明だ。ナポレオンもヒトラーもなしえなかったロシアに勝利という大偉業をなしえた大日本帝国であるが、果たしてあれがそもそも帝国主義戦争と言えるしろものであったかは、今となっては疑わしい。……というわたくしのような考え方が、本当の対決とやらを目指して観念的に肥大していった結果が、太平洋戦争であるといえよう(笑)戦争というのは、局地的にちょこちょこやるものであって、そのちょこちょこした場面でよいエピソードがあれば盛り上がれる程度のものだろう。

この映画を評価するとすれば、以上のような考え方をするしかない。

そのエピソードとは何か?

斥候が敵中を馬賊などに助けられながら、そして仲間を失いながら、命からがら陣中に帰ってくること、ではない。

馬が乗る人を失って(露西亜軍に撃たれたんだが)も、荒野の中を日本軍の兵隊を捜して追いかけてきたことである。更に言えば、その馬が死んだ兵隊の手袋をくっつけてきたことである。

つまり、エピソードの中心は、馬と手袋である。繰り返す、日露戦争の価値は、馬と手袋である。