「師父の自譴はさることながら、さきにも諭しまうししごとく、悪を懲らすのも仏の方便。時宜によりては殺生も、反て仏意にそむかざるべき、師父の大功仰ぐべし。[…]まづ斎をまゐらせん。この連日山ごもりの、疲労をいやし給ひね」と解れて丶大はうなづくのみ。
この犬坊主、卑怯にも風を操り里見軍の勝利に貢献。中勘助のバラモン犬とともに地獄行きであろう。しかしまあ、それにも増して卑怯なのは、里見が勝ったら、仁政万歳みたいにぺこぺこ出てくる下々の者である。
さる程に、麟里近郷なる、郷士郷民荘客らの、里見の仁政を慕ふ者、招かざるにつどひ来て、請ふて軍役にたたまく欲りする者、千をもて数ふべし。ここをもて、犬坂が、軍威いよいよやちこにて、草木もなびくばかりなれば、次の日毛野は馬にうち跨り、二三百の、隊の兵を相従へて、城外四境をうち巡りつつ、民の訴へをきき定むるに、郷の古老ら、簞食壺漿して、歓び迎へざるはなし。
めずらしいものが降った。旧冬十一月からことしの正月末へかけて、こんな冬季の乾燥が続きに続いたら、今に飲料水にも事欠くであろうと言われ、雨一滴来ない庭の土は灰の塊のごとく、草木もほとほと枯れ死ぬかと思われた後だけに、この雪はめずらしい。長く待ち受けたものが漸くのことで町を埋めに来て呉れたという気もする。この雪が来た晩の静かさ、戸の外はひっそりとして音一つしなかった。あれは降り積もるものに潜む静かさで、ただの静かさでもなかった。いきぐるしいほど乾き切ったこの町中へ生気をそそぎ入れるような静かさであった。
――島崎藤村「雪の障子」
確かに、草木も靡く、を否定すると、草木も枯れ死ぬ、になりかねない。草木は靡いているのではない、太陽のある方に体が反応してしまうのだ。民草だ。太宰治の「パンドラの匣」や、安部公房の「デンドロカカリヤ」の植物たちは、自意識過剰なので、本当に権力に靡くかんじなのだが、民草は違う。本当に草なのだ。里見がでてきたら他人だとは思わなかったのだ、自分の一部である太陽だと思ったのである。草たちの中に太陽があり、太陽と草は繋がっている。絆ではなく、一部として既に繋がっている。犬たちは少し人間に近かっただけだ。