★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

回想──梅×××を訪ねて3──桜島

2012-01-09 16:22:50 | 文学
 

 
出発します。



 

 
桜島


どがーん



 

妹2に噴火の写真を送りつける

妹からの返信→「うわ( ̄◇ ̄;)」

すぐ着いた


 
梅崎春生「櫻島」の碑。引用すべき箇所はここではないと思うが……。


火山灰が降り注いでいるので、道路もこんな感じである。

 
日本一長い足湯である。使用時間、日没まで。


靴下をぬぎぬぎする。


入る


溶岩の中を歩く。

 
しばし溶岩を投げて遊ぶ


どがーん



国民宿舎のレストランにゆく。
 

 

桜島大根入り和風イタリアンパスタ……もう何でもかんでもだな。

バスを待つ。

どがーん



怖くて入れない

桜島の名所を巡るバスに乗る。
運転手兼ガイドさんが「左手に桜島大根がありますっ」といったので、一生懸命実物を見つけてようときょろきょろするわたくし。



一般の人が近づける最高地点の展望台に着く。





たしか大正大噴火の火口。

 
今の火口

 
どがーん


天上の美しさであった。梅崎は死ぬと思っていたのである。

「私はむきなおり、寝台の所に来た。上衣を着ようと、取りおろした。何か得体の知れぬ、不思議なものが、再び私の背に迫るような気がした。思わず振り返った。
 先刻の姿勢のまま、吉良兵曹長は動かなかった。天井を走る電線、卓上の湯呑み、うす汚れた壁。何もかも先刻の風景と変らなかった。私は上衣を肩にかけ、出口の方に歩き出そうとした。手を通し、ぼたんを一つ一つかけながら、異常な気配が突然私の胸をおびやかすのを感じた。私は寝台のへりをつかんだまま三度ふり返った。
 卓の前で、腰掛けたまま、吉良兵曹長は軍刀を抜き放っていた。刀身を顔に近づけた。乏しい光を集めて、分厚な刀身は、ぎらり、と光った。憑かれた者のように、吉良兵曹長は、刀身に見入っていた。不思議な殺気が彼の全身を包んでいた。彼の、少し曲げた背に、飢えた野獣のような眼に、此の世のものでない兇暴な意志を私は見た。寝台に身体をもたせたまま、私は目を据えていた。不思議な感動が、私の全身をふるわせていた。膝頭が互いにふれ合って、微かな音を立てるのがはっきり判った。眼を大きく見開いたまま、血も凍るような不気味な時間が過ぎた。
 吉良兵曹長の姿勢が動いた。刀身は妖しく光を放ちながら、彼の手にしたがって、さやに収められた。軍刀のつばがさやに当って、かたいはっきりした音を立てたのを私は聞いた。その音は、私の心の奥底まで沁みわたった。吉良兵曹長は軍刀を持ちなおし、立ち上りながら、私の方を見た。そして沈痛な声で低く私に言った。そのままの姿勢で、私はその言葉を聞いた。
 「村上兵曹。俺も暗号室に行こう」

 壕を出ると、夕焼が明るく海に映っていた。道は色穏せかけた黄昏を貫いていた。吉良兵曹長が先に立った。崖の上に、落日に染められた桜島岳があった。私が歩くに従って、樹々に見え隠れした、赤と青との濃淡に染められた山肌は、天上の美しさであった。石塊道を、吉良兵曹長に遅れまいと急ぎながら、突然瞼を焼くような熱い涙が、私の眼から流れ出た。拭いても拭いても、それはとめどなくしたたり落ちた。風景が涙の中で、歪みながら分裂した。私は歯を食いしばり、こみあげて来る嗚咽を押えながら歩いた。頭の中に色んなものが入り乱れて、何が何だかはっきり判らなかった。悲しいのか、それも判らなかった。ただ涙だけが、次から次へ、瞼にあふれた。掌で顔をおおい、私はよろめきながら、坂道を一歩一歩下って行った。」



港に帰ってきた。

どがーん


 
か、帰るぞ……


今年に入ってから爆発は40回を超えているらしい。


この世ならぬ者が渡ってくるようです。


わたくしは鹿児島に渡る



 

回想──×××生を訪ねて2──坊津へ行く4

2012-01-09 02:25:10 | 文学






山道を帰る。
 




 


相剣石



「輝津館」を見学してから、観光案内所のおじさんと話し込む。坊津は、遣唐使の昔より貿易で栄えたこと。密貿易や和冦の基地ともなっていたこと。帆で海面が見えないほど船が来たという伝説があるほどであったこと。しかし、島津藩、果ては江戸幕府によって富を根こそぎにされたこと。この歴史は、今も繰り返されている。コンビニやスーパー、あるいは新幹線のような、巨大資本の触手にはかなわない。子供の数は、周りの地区から集めても一学年40人ぐらいになってしまったという。おじさんの子供の頃は、学校全体で千人いたそうだから……。おじさんは「東京は別の國だ」といった。「私たちは徒党を組むしかない」。

というおじさんが、電話をとり、地元の言葉を話し始めたのを聞いて私は驚いた。殆ど理解できない。いままでも鹿児島の人はなまっているなあ、と思って聞いていたのだが、私に合わせて標準語をしゃべっていただいていたのである。

おじさんに蜜柑をもらい、ベンチで食べてから、湾を歩く。
 

 

谷崎潤一郎の『台所太平記』の記念碑があった。


そういえば「幻化」の中にもこんな一節があった。


   

回想──梅××生を訪ねて2──坊津へゆく3

2012-01-09 01:41:40 | 文学
観光案内所のおじさんとひとしきりお話をしたあと、いよいよ山を登る。

 

梅崎の出世作「櫻島」の冒頭──

「七月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出をしたところである。その小さな美しい港を見下す峠で、基地隊の基地通信に当たっていた。私は暗号兵であった。」



 


しかし、電報は少なかった。



「歯ぎしりするような気持で、私は連日遊び呆けた。日に一度は必ず、米軍の飛行機が鋭い音を響かせながら、峠の上を駆った。ふり仰ぐと、初夏の光を吸った翼のいろが、ナイフのように不気味に光った。」

  



峠の道をたどる。
 

見えてきた


 

この岩の大きさ、不安定な造り、写真を撮ろうとすると、後ろの崖にあやうくふらつくこの面積……梅崎春生のようである。

後ろを

振り返る。

こんな海で玉砕戦とは……狂気の沙汰だ。

更に登ってゆく。
 

更に登ってゆく。


てっぺんにつく。





涙で視界がゆがみました。

回想──×崎春生を訪ねて2──坊津へ行く2

2012-01-09 01:14:08 | 文学

枕崎を去る。




巨大な人工物は遠近法を狂わせる感じがしますね……

今回の旅行の目的は、梅崎春生の「幻化」の主人公五郎のつもりになってみることであった。このような研究方法、普段わたしは全く認めていなかったが、どうも梅崎の書きぶりは、文章におさまりきらない光景を描いている気がしていたので、その実際を確かめに来たつもりなのである。

 

山伝いの道をわたくし一人載せたバスが軋みながら行く。

本当に、「忽然として、視界がぱっと開けた」。鬱蒼とした崖の左方に海が「すさまじい青さでひろがっている」。
 


坊津の歴史資料館である「輝津館」に到着。

   

回想──梅×春生を訪ねて2──坊津へゆく1

2012-01-08 23:44:58 | 文学
殆ど眠れないまま4時にタクシーでホテルを出発する。

……が、はやく駅に着きすぎた。


出発にはまだ時間があるが……ベンチで寝るわけにもいかない


乗れた。客一人=わたくし。指宿駅に向かってディーゼル音が鳴る。


指宿で乗り換え、枕崎に向かって高校生とともに出発!


夜明けである。植物の形状が、沖縄でみたそれに近くなっていることが空を背景に見え始める。

 
不安を掻き立てる風景である。

 
果てまで来たという感じがする。

  
着きました。

 
どきどきします。

バスまで時間がある。乗り遅れたら今日中に鹿児島に帰れなくなるかも知れないが……と考えながら、枕崎の街を見学する。


鰹節工場を覗く。とてもよい香りが町中に漂っていると思ったらこれであった。


「青空美術館」といって、この町では街路樹の代わりに大量の前衛彫刻作品が置かれている。この作品を傷つけないために容易に交通事故を起こせないな……。街自体を美術館にしてしまおうという覚悟のある試みである。

これで三分の一である




市役所や、と安心していると横には


コワイ

バスが来た。客=わたくし、またひとり。

梅×春生を訪ねて1

2012-01-05 21:12:44 | 文学


新幹線さくら号に乗り込むのである



九州に上陸したのである



はかた!!!
(地の果てだと思っていたが実在していた!)


くるめ!


どこじゃろ


たぶん熊本じゃろう









着いた

鹿児島はさすが暑いな、って寒いじゃないか!(昨日雪が降った模様…)




……

タクシーに乗ったら運ちゃんのことばが微妙にわからない。

でもホテルに着いた



電飾!電飾!


電飾の奥には…たぶんこれは市役所


あらきれい


ここまできて讃×う×んだけは頼むまいと、がんばって薩摩揚げとかいうのを食べる。うまー。

我が帰省2011──正月編5

2012-01-02 16:55:41 | 旅行や帰省

寒くはないが、放課後ティータイムである


高校生の時に入部を強制されてお茶をやっていた母から教えを受ける


昭和初期に祖母が小学校の教員をやりながら書写したという『茶味』をみる


師匠のサイン入り

 
×川大学の教員志望の学生に告ぐ──小学校の教員ならこのぐらいの字が書けて当然である

 


曾祖父の字らしい


わたくしの字