根本的には、狂気は以下の限りにおいてのみ可能であった。すなわち、主体が自分自身の狂気について自ら語ることを許容し、自己を狂人として構成することを許容するような、 そのようなゲームの空間 (espace de jeu)、 そのようなゲームの余地 (latitude) が狂気のまわりにあった限りにおいて可能であった。
――フーコー『狂気の歴史』
トランプをみていると、狂気を鏡として、みたいな古典的?ありかたのほうがましなんだよ、パレーシアとかかっこつけているよりはさ、と言われている気がするのはわしだけではないであろう。フーコーの、パーレシア的なヘイトに対するパレーシアの欲求は、我々が当初考えていたのと違い、はたしてそこまで勇気の問題だったのであろうか。そうは思えない。
若い頃の論文でやたらスキーマを連発して常識破壊を言っていた人が家族をもったとたんにすごく平凡になり、そのあまりの予想通りの様に笑いもでないような、――至極当然の出来事というのものは存在する。制度をマジョリティのでっち上げた何かの紙細工のように想定しているから、自らがマジョリティになったと云う自覚によって、それは「仕方がない」行動に変わってしまう。そもそも制度はマジョリティが作っているものであろうか?作っているとしたらどのようにして?それを模写する胆力も勇気もないのに何が出来るというのであろう。
今日の短歌史の授業は、さすがの石川啄木の威力でもりあがり、やはりこやつはすごいなとおもったが、やつが短歌でやってしまったように見えることが決して散文の代替物にはなりえないことが、いまのツイッッターの世界でもなかなか意識されていない。そもそも啄木はマイノリティではないのだ。一種のトランプなのである。啄木が必要なのは「批評」だといいながらそれを出来なかったことをもっと重要視するべきだ。
啄木は、巨大な「時代閉塞」に自らの巨大さで立ち向かおうとしている。そういえば、トランプのよこにいた巨人は息子のバロンさんであったが、いまわたくしが、自らの小物臭を必死で彼らに送っている次第である。このような戦い方もあるのである。
巨人と云えば、思い出すのは70年代の少女まんがである。わたくしも子供の頃、たいして自分で読んだこともない少女まんがの世界に憧れたものだが、とにかく邪魔なのが、其の中に出てくる男である。彼らはだいたい13等身ぐらいある。父親が長野のほうの校長住宅かどこかにいたときに、その住宅には昔の住人のものであろう、いくらか少女まんがが紐で縛られて残っていた。こんな面白いもんがあったのかと思てちょっと拝見したのであるが、そこに出てくる13等身の男が唯物史観とかマルクス語ってデートだかオルグだかわからんくなってるのがいま思い出してもおかしい。わたくしの記憶だと、そのマルクスだか弁証法とかに女の子が本気で感動してた。いまもこういうのが現実であったならばわたくしなんぞも三回ぐらい結婚しているのではないだろうか。
むろん、そんな巨人は、70年代においても絶滅危惧種だったし、学生運動の時代においても大した存在ではなかった。権力の諸要素と同様、玉突き事故の要素に過ぎない。戦時中の帰趨を調べれば調べるほど、玉突き事故がそのつど魔改造された空間で転生するみたいなことが連続的に起こっている。それは本当に、絶望的な事態で、――ヒトラーを嫌えばおさまるものではない。しかし当時の人はそういうは思いながら、それを認識してもなお、みたいな感覚をもって戦後に臨んだ。「第二の青春」じゃなくてほんとは「第二の転生」みたいな気分だったはずなのである。そこで青春とかいっているのはまだ自分が巨人だと思っている証拠である。
みんな云ってるんだろうけど、この程度のガラガラポン的な状況で終末観を感じている人は民主主義者ではない。民主主義世界に彼岸などない。
しかし、我々がそんな煉獄的状況に堪えられるわけではなく、いつも我が国であったら伝統を利用して馬鹿なフリをしながらいつのまにか元気になってしまうという精神的詐欺の有効性を実証してきた。天皇だって、その一種なので、「王」のふりを自虐的に模倣するのが我々臣民であった。和歌や源氏物語の大衆化もそれに一役買った。学生に勧められて「プロメア」というアニメーション映画を見たのだが、過去のたくさんのアニメーションへのオマージュで作られていた。火をつける人と火を消す人が合体するとすげえみたいな話だったけど、これはたくさんの引用を行いながら作品を作るときの精神的な作法でもあって、主人公が言っているように、自分は「馬鹿」だと言い張る態度によって成立する。我々がいざとなってもますます「馬鹿」的になる秘密もこのことと関係がある。しかしそうでもしないと、彼岸を求めて辛いのであった。我々はたぶん、浄土思想の時代のつらさを忘れかねているのである。