身にそなはりし徳もなくて、貴人もなるまじき事を思へば、天もいつぞはとがめ給はん。しかも又、すかぬ男には身を売りながら身をまかせず、つらくあたり、むごくおもはせ勤めけるうちに、いつとなく人我を見はなし、明暮隙になりて、おのづから太夫職おとりて、すぎにし事どもゆかし。
男嫌ひをするは、人もてはやしてはやる時こそ。淋しくなりては、人手代・鉦たたき・短足にかぎらず、あふをうれしく、おもへば世にこの道の勤め程ほどかなしきはなし。
西鶴とかでも、「世に*程***ものはなし」、みたいな言い方が出てくるんだが、学校教育で言うところの中心文的なものではないし、主題ですらない。こういうのはおもったより近代でも実際あるんだろうと思う。真面目なふりの仮面、ふざけたフリの仮面、そして素顔はある程度空想である。近世も近代も文学がメディア化してるために起こる困難はかわらない。
そういえば、ベートーベンの時代は敵はナポレオンの敵や共和制の敵であった。しかし、敵が敵対する人間や怪物ではなく、メディアや批評になってからはおなじエロイカ的なものも拗くれてしまった。「英雄の業績」というセクションを持つR・シュトラウスの「英雄の生涯」、まだ作曲者が34だかだというので、自分のことを曲にしたのではない、という説があるが、いまでも「英雄の業績」とか30代で自分を褒めている奴はうちの庭の蛙よりも多く存在している。もはや、ここまでくると、敵が批評家やメディアですらない。