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左の勝又進の作品集『深海魚』は、「深海魚」、「デビルフィッシュ」という、原発ジプシーを描いた二作品と、私マンガ的なかんじで東北の民俗を描いたと思しき作品群が収められている。ある意味、東北の現在と過去をえがいているともとれる構成である。後者の作品は発表時に於いてもうロマンの対象が描かれている感じがする。遠近感があるのである。しかし原発ジプシーの作品の奥行きのない異様な絵は、現在を感ずる。
右は、最近読んだもの。『山びこ学校』はまともに読んだことがなかったのであるが、佐野氏の著作を読んだのを機に読んでみた。『山びこ学校』の綴方がみつめるのは「生活」である。生活綴方なんだから当然のようにみえるが、これがまったく自明の事柄ではないのは、教師なら皆知っていることであろう。特に最近なんかは自分の「生活」を作文に書かせること自体がそもそも目指されていないのではなかろうか。それは子どもにとっても親にとっても恐ろしいことだからである。無着成恭の指導方針──綴り方の目標は、子どもの「生活」改善でありそのための原因を仮象に覆われた現実の中から炙り出すことであって──、そのために綴り方は、流通、搾取、宗教などの話題から、タブーとされていた事柄を次々に扱わざるをえなかった。このことは、無着成恭の村からの追放の一つの原因であろうが──、一方で、生徒の綴方に現れている事象に対し、厳密に解説し問題として整理することには、岩波文庫で解説している無着成恭自身も国分一太郎も失敗しているようである。佐野氏の著作は、その失敗の原因を追求するものであるように思われる。ある意味、無着成恭は、学校を「勉強」の虚構空間とせずに、労働を「見」て「綴る」場にしてしまった。しかし、見出された「生活」は、左右の対立や教育論議の中で、反点数主義や反管理教育、個性尊重などのタームによって見えなくなっていってしまう。
佐野氏は、卒業後、更にひどい状況の変化(高度成長前期)を強いられていた生徒達の生活と、教育に挫折して僧侶になった無着成恭のその後の姿を追跡した。佐野氏のやったことは、文字通り、大人版『山びこ学校』である。わたしも、大学教育の中で、学生に「生活綴方」のようなことをやらせてみようとは思っているが、ちょっと勇気がでない。「生活」は、それほど勇気を持って見出されなければならないものである。私は、他人の書いた文章を解釈する力と、自らの生活を見る勇気とはほとんど一緒のことだと思っているが、どうも片方が極端に欠けると駄目なようなのである。
今回、『山びこ学校』そのものと佐野氏の著作を読んで、私自身が受けてきた教育も当然ながら記憶の底から蘇ってこざるを得なかった。教員であった私の両親にも、このブログにもたびたび登場してきた牛丸仁先生の教育にも、直接的か間接的か『山びこ学校』の影があった。無着成恭も俳句を作る人であったし牛丸先生も自分は詩人だという自覚があった。『山びこ学校』がそうだったように、私も、先生の方針で、作文や学級活動を中心とした教育を受け、宿題やテストがろくになかった時期を経験している。思うに『山びこ学校』の時期(昭20年代)に比しても、昭和50年代のそれは、詩人としての先生の追いつめられた抵抗を示すものであったかもしれない。状況は『山びこ学校』とは別の意味で難しかったはずだ。作文や日記を書かせたとしても、生徒の「生活」そのものがテレビや音楽によってある種「勉強」するような形態に変化していて、「生活」じみたことは却って学校の中で経験することになるという逆転が起こっていたように思われる。それに、無着成恭の教え子達の世代に当たる先生の場合、無着成恭が生徒に読んで聞かせていた徳永直や葉山嘉樹のような感じにはならず、無着成恭のように理念型にもならなくて、もう少し教養主義的な人間だったのではあるまいか。オペラ上映を目指したり吉野源三郎を読ませたりするところが……。ソシュールやマーラーのことを面白そうに話すのを聞いたことがある。すなわち、先生の生活自身が、我々のそれに案外近かったのである。
しかし、別に我々は「生活」を失っている訳ではない。