★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

足跡と手書き

2025-01-16 23:36:02 | 文学


家へ入ると、通し庭の壁側に据ゑた小形の竈の前に小さく蹲んで、干菜でも煮るらしく、鍋の下を焚いてゐた母親が、
『帰つたか。お腹が減つたつたべアな?』
と、強ひて作つた様な笑顔を見せた。今が今まで我家の将来でも考へて、胸が塞つてゐたのであらう。


――石川啄木「足跡」


ワープロで文章を書いた初めてのものが卒業論文だった気がするが、そのときついた悪癖はなかなかぬけない。正直なところ最近、大学の教師として、卒業論文ぐらいまでは手書きで書いた方がよい気がしてきた。コピペ、散漫な思考、誤字脱字、締め切り直前まで何もせんなどの問題は、ワープロ執筆をやめてある程度は解決する。

もうさんざ言われているだろうけど、安部公房の手書き時代とワープロ時代というのは、気のせいか、文体もパッションも違う。衰えや体調のせいもあるだろうが、それだけとは思えない。「箱男」なんて、どこかしら手書き特有の紙片感がある。箱男は、箱の中でワープロを打たない。箱男は石川啄木とおなじく、人間の足跡をたどるように、言葉を書き付けるのである。


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