人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

甘い生活

2016-05-09 17:57:17 | 映画・音楽など
「甘い生活」(1960年イタリア映画。フェデリコ・フェリーニ監督)

私に映画や音楽に関心が向けられた時、映画はサントラと共にあるものだと思っていましたが、その感慨も薄れてどのくらいになるでしょうか…
この二つの相乗効果というものは実に大きいものが有ります。
いい映画に、いい音楽…この最良のコンビと言えば、私はすぐフェデリコ・フェリーニとニーノ・ロータを思い浮かべます。
サントラに関して、一曲挙げれば「アマルコルド」のテーマがとにかく好きなのですが、CD盤全体で言うと「甘い生活」は聴きどころが沢山あってこっちに軍配を挙げます。
Parlami Di Me(Valzer)、 何ともやるせない旋律…
Arrivederci Roma、 カンツォーネのヒット曲のインスト。私はこの盤で初めて知りました。
後は、マンボにディキシーにプロ野球ニュース…これらは都会に育った人間なら思わずニンマリしてしまう事でしょう…

そして、映画についても…実はストーリーのことはほとんど覚えていない…というか初期の「道」などと違って、さして印象に残っていないのですが…
一つ一つの短い挿話がパノラマ式にランダムに印象に残っている、という感じなのです。
それに強烈に色を添えているのがニーノ・ロータの音楽という訳です。
内容は、作家を夢見たもののゴシップ記者に甘んじている男(マルチェロ・マストロヤンニ)の自堕落な生活を時に淡々と、時にパッションたっぷりに描いています。
彼を取り巻く女性たちとして、アニタ・エグバーグ、アヌーク・エーメ、イヴォンヌ・フルノーが出て来ますが、私にはそれぞれアメリカ、フランス、イタリアのステレオ・タイプの女性像が描かれているように映ります。フェリーニ監督はこのころから斬新な手法を使うようになりますが、フルノー演じる激情たっぷりの主人公の愛人の姿には昔ながらのイタリア映画を彷彿とさせます。
それにしても目くるめく、狂おしいばかりの都会生活を映し出すカレイドスコープの数々…
カソリックのお膝元で、何とも挑発的な描写…
何やらヘリコプターでキリスト像を運んでいる…
トレビの泉でアメリカのブロンド・グラマー(エグバーグ)とジャブ、ジャブしている
聖母出現信仰の熱狂ぶり…ヤラセだった…奇跡を信じてやって来た重病人は雨にたたれて死んでしまう…
信仰心厚く、堅実で調和のとれた生活をしていると思われた友人が自殺してしまう…
現代のバビロン(ロ-マ…いや全ての大都市というべきだろう)の魔的力に押し拉がれた人間には、見せかけの信仰などでは、どうにもならない…
夜な夜な繰り広げる乱痴気パーティ、ドンチャン騒ぎ…その朝の虚脱感…一体人生にはどれだけ身も心も金も消耗させられることだろう…ああ、いやだ、いやだ…こうなるのは分かっちゃいるんだが…トホホ、コイツときたらもう萎びちまった…
最後に海辺で魚のモンスターが引き上げられた…エイ?、マンボウ?…(フナッシーに似てる!)
エエイ!…全く魚の腐ったような眼をしてやがる!…(当たり前か!)
あれ…水辺の向こうに居るのは誰だろ?…誰ノガレか?(だいぶ若いな…)指で何かを言っている…”指だけの支援”の何が悪い!あれこそはホントの支援じゃないか!まるで女神サマに見える…私は何も出来やしないんだ…腐れ切った落ちたエルサレム…でも捨てたもんじゃない…いや、捨てられやしないんだ…宿業ってヤツは…トーキョー、いやローマはそれでも永遠の都…

この噴水にコインを投げると、運命が変わってローマに戻れる
噴水はなんにも言わないけれど、水底には君の歌がそらちゃんとある
さよなら、ローマ…
                  (アリヴェデルチ・ローマ)











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