宗教やスピには”OOを信じなければならない…”と観念の押しつけばかりで溢れている…
それを説き伏せる者、信じ従う者、彼らからは生きたものは全く感じられない、伝わってこない…
ただ浮ついた、落とし込む事の出来ない中身の無い言葉の羅列ばかり…
つまりは…
なにも共感することが出来ない!
共感無しに”信じる”ということなどあるだろうか?
共感から離れた如何なる信仰にも命が通っていない、根っこが無い
紙で書かれた人の言葉=”信”が神にスリ代わって崇拝される…
共感を忘れた世界には、無駄な論争が生まれる
何が真実で、何が正しい、何が善か…
確たるもの、意味付けされるもの、価値あるもの、根拠あるもの…
どんな条件的なものを追いかけても、共感し合う世界から脱線するのみ…
共感は法則、定理などでは測れない
共感の法則は分かっても、あなたが感じなくてはただの屁理屈…
共感は常識を超えている
勝手に筆が動いて、文字が現れた!
八歳の脳障害児が真理らしきことを語っている!
何という、胡散臭い、非常識な事だろう!
だが…世人は何を言おうが、科学的にウソが判明されようと…僕は共感した!
ヤラセだろうと、邪霊の誑かしだろうと…共感しちゃったものはどうしようもないではないか!
この真実は隠しようが無いではないか!
共感から離れたどんな真実も生きたものじゃない!
ホントに非常識な事とは、熊本の”テロ地震”の落書きのような、心無い妄言のタレ流しのようなものだ
どんなぶっ飛んだことだろうと、共感有るところ心があの”円”に落ちてゆく…
真実、正しさを超えて…
共感の無いところ、常識に雁字搦めになるか、非常識なクサイ、トンだ言動が飛び交うばかり…
常識人と非常識人の終わりなきTVタックル…
共感しあう関係は等価である…どちらが上も下も無い
共感に従属関係は無い…
他者の支配、コントロール…洗脳とは縁も所縁も無い!
それは命の交換…愛、喜びのハタラキ合い
共感関係の主体は形なき共感自体…あのお方!
誰かに誰かが共感するのではなく、共感させるハタラキが有り、それに合わせられ、引き付けられる
共感有るところ…あらゆるところに中心の在る円、縁が生まれる…
喜び、気付き、愛おしさ…よき想い出は共感と共に在った…
共感こそは僕の先生、導師…
それを説き伏せる者、信じ従う者、彼らからは生きたものは全く感じられない、伝わってこない…
ただ浮ついた、落とし込む事の出来ない中身の無い言葉の羅列ばかり…
つまりは…
なにも共感することが出来ない!
共感無しに”信じる”ということなどあるだろうか?
共感から離れた如何なる信仰にも命が通っていない、根っこが無い
紙で書かれた人の言葉=”信”が神にスリ代わって崇拝される…
共感を忘れた世界には、無駄な論争が生まれる
何が真実で、何が正しい、何が善か…
確たるもの、意味付けされるもの、価値あるもの、根拠あるもの…
どんな条件的なものを追いかけても、共感し合う世界から脱線するのみ…
共感は法則、定理などでは測れない
共感の法則は分かっても、あなたが感じなくてはただの屁理屈…
共感は常識を超えている
勝手に筆が動いて、文字が現れた!
八歳の脳障害児が真理らしきことを語っている!
何という、胡散臭い、非常識な事だろう!
だが…世人は何を言おうが、科学的にウソが判明されようと…僕は共感した!
ヤラセだろうと、邪霊の誑かしだろうと…共感しちゃったものはどうしようもないではないか!
この真実は隠しようが無いではないか!
共感から離れたどんな真実も生きたものじゃない!
ホントに非常識な事とは、熊本の”テロ地震”の落書きのような、心無い妄言のタレ流しのようなものだ
どんなぶっ飛んだことだろうと、共感有るところ心があの”円”に落ちてゆく…
真実、正しさを超えて…
共感の無いところ、常識に雁字搦めになるか、非常識なクサイ、トンだ言動が飛び交うばかり…
常識人と非常識人の終わりなきTVタックル…
共感しあう関係は等価である…どちらが上も下も無い
共感に従属関係は無い…
他者の支配、コントロール…洗脳とは縁も所縁も無い!
それは命の交換…愛、喜びのハタラキ合い
共感関係の主体は形なき共感自体…あのお方!
誰かに誰かが共感するのではなく、共感させるハタラキが有り、それに合わせられ、引き付けられる
共感有るところ…あらゆるところに中心の在る円、縁が生まれる…
喜び、気付き、愛おしさ…よき想い出は共感と共に在った…
共感こそは僕の先生、導師…