人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

共感

2016-05-28 14:55:16 | 独語
宗教やスピには”OOを信じなければならない…”と観念の押しつけばかりで溢れている…
それを説き伏せる者、信じ従う者、彼らからは生きたものは全く感じられない、伝わってこない…
ただ浮ついた、落とし込む事の出来ない中身の無い言葉の羅列ばかり…
つまりは…
なにも共感することが出来ない!
共感無しに”信じる”ということなどあるだろうか?
共感から離れた如何なる信仰にも命が通っていない、根っこが無い
紙で書かれた人の言葉=”信”が神にスリ代わって崇拝される…

共感を忘れた世界には、無駄な論争が生まれる
何が真実で、何が正しい、何が善か…
確たるもの、意味付けされるもの、価値あるもの、根拠あるもの…
どんな条件的なものを追いかけても、共感し合う世界から脱線するのみ…
共感は法則、定理などでは測れない
共感の法則は分かっても、あなたが感じなくてはただの屁理屈…
共感は常識を超えている
勝手に筆が動いて、文字が現れた!
八歳の脳障害児が真理らしきことを語っている!
何という、胡散臭い、非常識な事だろう!
だが…世人は何を言おうが、科学的にウソが判明されようと…僕は共感した!
ヤラセだろうと、邪霊の誑かしだろうと…共感しちゃったものはどうしようもないではないか!
この真実は隠しようが無いではないか!
共感から離れたどんな真実も生きたものじゃない!
ホントに非常識な事とは、熊本の”テロ地震”の落書きのような、心無い妄言のタレ流しのようなものだ
どんなぶっ飛んだことだろうと、共感有るところ心があの”円”に落ちてゆく…
真実、正しさを超えて…
共感の無いところ、常識に雁字搦めになるか、非常識なクサイ、トンだ言動が飛び交うばかり…
常識人と非常識人の終わりなきTVタックル…

共感しあう関係は等価である…どちらが上も下も無い
共感に従属関係は無い…
他者の支配、コントロール…洗脳とは縁も所縁も無い!
それは命の交換…愛、喜びのハタラキ合い
共感関係の主体は形なき共感自体…あのお方!
誰かに誰かが共感するのではなく、共感させるハタラキが有り、それに合わせられ、引き付けられる
共感有るところ…あらゆるところに中心の在る円、縁が生まれる…
喜び、気付き、愛おしさ…よき想い出は共感と共に在った…
共感こそは僕の先生、導師…

コメント
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