人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

常ならぬ道

2016-05-26 13:09:48 | 求道、探究
祈りと道院の坐の賜物なのか、昭和54年春からしばらく私は特異体質になっていたようです。
別段、そうしたことをしていなくても、とにかく意識が神的なものにチラッと向けられるだけで、ジンジンとした高揚感が起きたりしました。
耳下腺(おたふく風邪で膨らむ箇所〉の辺りが張ってくる感じをしばしば覚えたものですが、出口王仁三郎師の何かの本には、それは”神がかりの兆候である”と書いてありました。
私のこれまでの人生で霊感とはほとんど無縁でしたが、この時期はそのようなものも芽生えていたのかもわかりません。
私自身は特にそうした興味も無く、それを目指しての修行もしてなかったですが…
これは程なくして、見えざる導きによるものなのか、小池辰雄先生との出会いから神の恩寵の道に共感したという事も影響していました。
特別な修行も努力も無しに、上よりの現臨が望むや、人生を一変させる恵みに預かる、という…
その前年、手島郁郎先生の「生命の光」で初めてそういう世界を知って、ぶっ飛んだのが最初で、その年の五月初めて小池集会のペンテコステ集会に行っものの、あまりの衝撃に、集会へは行かずもっぱら先生の著書を通じて親しんでいたのです。
今日では、キリスト教色から離れてこのような表現で語られるものも珍しくありません。
私には寡聞にして、当時はこういう情報しか知らなかったのです。
これはノンデュアリティなどからしたら皮肉かも知れませんが、私にとって直接体験の道というのは、こうした二元の道の最たる?キリスト教的な縁によるものだったのです。
私の場合、これが常人の道とかけ離れていることなのですが(余程のおバカか天才か…?)か、何食わぬ顔して東京の道院に参じて、しおらしく?修坐に励んでいたのです。
静黙を重んじる道院で、異言が飛び交い、霊動を誘起するキリストの福音集会のようなものを奨励する訳がありません。
逆にその集会で修坐に勤しんでいようなら「何だ!君は仏像か!…」などと言われかねません。郷に居れば郷に従うべきなのです。
(ついでに言いますと、私自身に適しているのは静的なもの、動的なものを併せ持った道です。これは折衷という意味じゃないです)
もし、あなたが常人を自認するのなら、こういう歩み方はお勧めしません!…頭の回路が混線しかねません!
しかし、こういう歩みというのは常人でない私には別にオカシナ事ではないのです。
ただ、私は見えない導きのままに、魂の赴くままに従っていただけです。
そこに縁が開かれた…と言ってもいいでしょう。
このことは、ホントにつながらなくてはならないものは、形としての特定の宗派、グループを超えたところに有る…ということを示されていたように感じます。というより”その教えに共感しても、手に握りしめるものじゃないよ…”というような促しを受けていたのです。
こういう常ならぬ道を歩まされていると、一応のその時々の節目に理解も与えられ、精神的変遷のようなものも形成されたようにも思いますが、では時と共に段階を踏んで着々と魂がより深く、より高く進んでいったかというと…全く疑わしい限りです。
”瞑想修行などしなくても、意識がちょっと動くだけで、上よりの恵みに満たされてくる…”こんなこと言うと、何人かの人から、”いいや何がしかの修行をしたに違いない!”と言われました。
成程、それは修坐の過程で芽生えたのかもわからないです。老祖様(道院の主神、至聖先天老祖〉の感応か、どうか知りませんが、僅か数日間のこととて修行がどう進んだか、などの実感なぞ持ち得ようはずなどありません。
ハッキリ実感していることは、精神的苦境から脱して、愛、ハタラキが芽生え始めたことです。
それは元々私のどこかに共鳴出来るものが有ったという事でしょう。誰にでもそうであるように…
世の常ならぬ道とは、ホントは常なる道であり、徐々に表に顕れて来ているのではないでしょうか?
それは全く修行して獲得したり、私有出来るようなものでは有りません。
この事は昭和55年夏、突如その感覚が自然消滅したことで逆に実感しているのです。
これは何も恩寵を私物化したことの報いかなんかでは無いですよ(笑)
忘れかけていたシャバがたまらなく恋しくなったからだと思います。
これは実に分かり易い、常なる道?ですね…。









コメント
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