何度か書いていますが、昭和54年の初めから一月くらい、精神が不安定な時期が有りました。
これが安静に向かったのは、祈り(五井先生の世界平和の祈りというのもしていましたが、特定の祈りというものには捉われていませんでした)をしていたということもありましたが、忘れてならないのは、中国の宗教結社、道院紅卍字会に伝えられている”先天の坐法”というある種の瞑想法の実修の効用ではないかと思っています。
私がこれまで瞑想修行らしきことを一定の間続けていたというのはこの時期(およそ三か月)くらいしかありません。
(これはそこへ入会するに際しての見習い期間に当たっていて、私は別に強制された訳でも無かったですが、勧められるままにマジメにしていたのです。)
先天の坐法といっても、特定のマントラや呼吸法といった方法も無く、足は組まず座椅子を用いることをよしとするなど、とてもシンプルで無理なところが有りません。
道院では、従来の座禅やヨガ、仙道などのそれぞれの門戸に応じた方法に分かれているものを後天の坐法といって、それらの大本にあるものとしてしての先天の坐と区別しているのです。
この坐は後天的形式から自由であることを強調していますが、一定の型とか、一定の実修時間というものもあります。(実は教示ではそれも止揚された無形の坐というものが有る、という事も仄めかされているのですが、それは実際に伝えられたのかどうかは分かりません。)
私はそれを伝授されるに当たって、ごく簡単なレクチャーしか受けた記憶が無いのですが、その妙味は意念を強いて用いない、というところに有るようです。
例えば、どこかに”集める”と示されることがありますが、特定の部位への一点集中という事では無いです。(これは実修を通じないと、分かりにくいのは言うまでもないですが)意識の微妙な動きに任せるという事でしょうか…面白いことに、強いて集めようとしなくとも、勝手に集まってしまったりするのです。
ここに意識というものの妙なるハタラキが存しているのを見出します。
この実修でハッキリと実感したものは、気らしきものが心身に巡り始めたことです。
実際にポカポカと身体面で温かみを感じたものでしたが、精神的、意識的な面とも切り離されたものではありません。
この坐では何が起きても意念で追いかけたり、捉われることを戒めていますが、私にはごく自然に、ラクにそう導かれていました。
意念を働かそうとすると偏頭痛に見舞われたりするからです。
見えざる導きというのを実感したのもこのころからです。
又、この時期に意識の高揚感が顕著になったのですが、これも前記の祈りとこの坐によるものだったのでしょうか…
いずれにしても、この坐との出会いが何より、精神の安定をもたらし、その後の”形なき祈りと瞑想の道”(そんな勿体ぶったものでも無く、実にイイカゲンなものですが…)の端緒の一つとなったのは間違いありません。
(ただ、こうした縁も与えられているにも関わらず、疎かにしているのは恐縮の至りです)
私は東京の道院へは2年くらい定期的に参っていました。その頃は年配の人が多かったですが、あまり宗我臭い人も居らず、淡々とした中にも和気が感じられたものです。
昭和56年初春、関西への移転と共に疎遠になってしまい、暫く経って訪れたら当時の人はほとんど見当たらず、フンイキも変わってしまいました。
相対観に捉われている人も見受けられ、聞いたことないような、偏頭痛を起こしそうな坐のレクチャーなどをしていました。
今では、ワールド友の会の浅見赤山氏(その昔、そこで会った青年実業家のような人が多分彼だろう…)に会が牛耳られているとか…
昨年、書店を覗いていたら思わず目を疑りました。
「鎮心経」なる道院の秘伝書の解説がどういう経緯でか、世に出ていたではありませんか!(たま出版)
きらく仙女という著者とは多分お目にかかったことはありませんが、奇特な人も居たものです。
これが安静に向かったのは、祈り(五井先生の世界平和の祈りというのもしていましたが、特定の祈りというものには捉われていませんでした)をしていたということもありましたが、忘れてならないのは、中国の宗教結社、道院紅卍字会に伝えられている”先天の坐法”というある種の瞑想法の実修の効用ではないかと思っています。
私がこれまで瞑想修行らしきことを一定の間続けていたというのはこの時期(およそ三か月)くらいしかありません。
(これはそこへ入会するに際しての見習い期間に当たっていて、私は別に強制された訳でも無かったですが、勧められるままにマジメにしていたのです。)
先天の坐法といっても、特定のマントラや呼吸法といった方法も無く、足は組まず座椅子を用いることをよしとするなど、とてもシンプルで無理なところが有りません。
道院では、従来の座禅やヨガ、仙道などのそれぞれの門戸に応じた方法に分かれているものを後天の坐法といって、それらの大本にあるものとしてしての先天の坐と区別しているのです。
この坐は後天的形式から自由であることを強調していますが、一定の型とか、一定の実修時間というものもあります。(実は教示ではそれも止揚された無形の坐というものが有る、という事も仄めかされているのですが、それは実際に伝えられたのかどうかは分かりません。)
私はそれを伝授されるに当たって、ごく簡単なレクチャーしか受けた記憶が無いのですが、その妙味は意念を強いて用いない、というところに有るようです。
例えば、どこかに”集める”と示されることがありますが、特定の部位への一点集中という事では無いです。(これは実修を通じないと、分かりにくいのは言うまでもないですが)意識の微妙な動きに任せるという事でしょうか…面白いことに、強いて集めようとしなくとも、勝手に集まってしまったりするのです。
ここに意識というものの妙なるハタラキが存しているのを見出します。
この実修でハッキリと実感したものは、気らしきものが心身に巡り始めたことです。
実際にポカポカと身体面で温かみを感じたものでしたが、精神的、意識的な面とも切り離されたものではありません。
この坐では何が起きても意念で追いかけたり、捉われることを戒めていますが、私にはごく自然に、ラクにそう導かれていました。
意念を働かそうとすると偏頭痛に見舞われたりするからです。
見えざる導きというのを実感したのもこのころからです。
又、この時期に意識の高揚感が顕著になったのですが、これも前記の祈りとこの坐によるものだったのでしょうか…
いずれにしても、この坐との出会いが何より、精神の安定をもたらし、その後の”形なき祈りと瞑想の道”(そんな勿体ぶったものでも無く、実にイイカゲンなものですが…)の端緒の一つとなったのは間違いありません。
(ただ、こうした縁も与えられているにも関わらず、疎かにしているのは恐縮の至りです)
私は東京の道院へは2年くらい定期的に参っていました。その頃は年配の人が多かったですが、あまり宗我臭い人も居らず、淡々とした中にも和気が感じられたものです。
昭和56年初春、関西への移転と共に疎遠になってしまい、暫く経って訪れたら当時の人はほとんど見当たらず、フンイキも変わってしまいました。
相対観に捉われている人も見受けられ、聞いたことないような、偏頭痛を起こしそうな坐のレクチャーなどをしていました。
今では、ワールド友の会の浅見赤山氏(その昔、そこで会った青年実業家のような人が多分彼だろう…)に会が牛耳られているとか…
昨年、書店を覗いていたら思わず目を疑りました。
「鎮心経」なる道院の秘伝書の解説がどういう経緯でか、世に出ていたではありませんか!(たま出版)
きらく仙女という著者とは多分お目にかかったことはありませんが、奇特な人も居たものです。