人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

女性的なるもの

2017-05-09 12:51:55 | 雑感
なんだかんだ言っても、今日は人類的な規模で精神的目覚めが顕著になってきているように感じます。
欧米を中心としたノンデュアリティの流行もそれを表しているとも思えます。
私はこれは、女性の在り方というもの、多くの分野で女性的なものが顕わになってきていることと関係が有るように感じています。
女性が目覚め始めたのか?…そうとも思えますが、それ以上にもともとの女性的存在の有り様というものに人々が目覚め始めたという事の表れだと思っています。
最近では、女性の覚醒者というものも出てきていますが、これまで聖者、賢者と言われる人で女性というのは皆無に等しかったと言ってもいいでしょう。
それは女は業が深く、おバカで度し難いから?…そうかもしれませんが、それよりも”賢そうなバカは居なかったから”と言った方がいいかも知れません。
考えてもみてください、男というものは、もう本当に出しゃばりで、頼みもしないのに人に何かを教えたがり、講釈なんぞ垂れて知識を披歴したがり、人を操作しようと支配したがり、ガリガリ亡者ばかりでこれこそ度し難い性ってもんじゃないですか!
(私などもこういう事はいつも自重しているつもりが、ああ…生来のサガってもんは如何ともならず…という次第…)
女性は本当にアイドルなんかが目の前に現れたりすると、もう我を忘れて”キャーッ!”とそれしか見えない如く、その世界に没入してしまうようです。
理屈なしに一なるものに没入できるらしい…こういう事は女性にはもう天性から備わっているみたいです。
そこへ行くと、男どもときたら、もう神経症みたいに”エゴは巧妙で、策略をめぐらしているんですよ~、騙されちゃいけませんよ~、それを落とさないと真我には目覚められませんよ~”…とか言って、いつも巧妙に人を騙している野郎が一体、何を宣っているのか!と言いたいです。
そーゆーの、女性にしてみたら”私が私でいることの何が悪いんだ、バーカ!”というようなもんでしょう。それはトータルな私で居られるってことでしょう。
又、男の考える悟り方ときたら、”瞑想法には、コレコレのメソッドが有り、段階が有り、正しい規則に則り、努力精進を…”って、一生飽きずにやってたらいいだろう…そして”究極の悟りってーのは”、とこれまた永久に叶う事の無い幻想に憑りつかれてしまう…これこそは男の救い難さというものです。
これにひきかえ、女性は何の努力も無しに自分を明け渡すことが出来るらしい…愛する人に。
”あなたしか見えない、あなたしか居ない”…(一生に一度くらいはそう言われてみたいものだ)
”愛は盲目”と言いますが、これはいつどこで神的な最愛のものへの明け渡しに昇華されるか分からないものです。
悟りが何かなど分からずに、愛の意味も知らずに…理屈もやり方も超えられてしまうのです。
女は男よりずっと天国の近くに居るものだとつくづく思います。
というより男性的なものの行き着く世界は、世界を火の海の地獄に変えてしまいかねない、ということを今、世界人類は思い知らされているのです。
”これまでの歴史は男性的なものが支配していた”と世人が言う通りでしょう。
女性的なものは、その男性的力によって追いやられていた…そこで封印されてきたものは、人間の内なる神性といったものでしょう。
そこにはおそらくは封印される理由も存したようにも思われます。
あるいは誰かが言っていたように、太古の昔男性原理と女性原理の戦いが有って、前者が勝利を収めてこの歴史が開かれたのかもしれません。
しかし、今我々が直面しているのは、戦いからはどうにも立ち行けなくなってしまった、ということではないでしょうか?
正しさ、強さの誇示、そしてその力の行使にはもう先が無い…女性的なものは、戦いで無しに、自分が降参すること、自分を超えたものに捉われる事で真実が開かれることを今、示し始めているのでしょう。
私が日ごろ書いているものは、このように女性的なものと言ってもいいものです。
私はずっと内部にそういうものが息づいているのを自覚しています。
魂の平安というものは、そういうものにしか導かれないということも知らされています。
勿論、男っぽいところも自覚していますが、最近、歳のせいか堪え性が無くなってきているのです。
これはケンカっぱやいことと観るべきか…いや涙腺が緩くなってきているのでしょう…。

コメント
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