人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

「サピエンス全史」の裏側

2018-12-16 12:44:16 | 人生の裏側の図書室
ヘソ曲がりな私は、このコーナーであまり有名な本は取り上げないのですが、数年前"全ての人類必読の書i"と話題になった、この書物をその端くれとして読まないわけにゃいけないだろうと、遅まきながら何かの声の促しに負けたのか、読んでみた次第です。
「サピエンス全史」ユヴァル.ノア.ハラリ著(河出書房新社刊)
著者は気鋭のイスラエル人の歴史学者とのことですが、内容は生物学、人類学、社会学など実に多岐に及んでいて、とても簡単に把握出来るものではありませんが...私はこんなんで、"人類サピエンスの全ての歴史"など語り仰せることなど出来ないことは分かりきった上で、ごくかいつまんで、この書が描こうとしていることを言い表してみたいと思います。
それは..."我々人類サピエンスが、今日まで、過酷な自然観境や他の生物などの外敵との闘いの中で生存、繁栄させてきたのは、集団化、社会化する意識形態を有することが出来たからである"、ということです。オシマイi
って...これで済む訳が無いのですが...その多角的な角度からの素描、分析はこの上下巻に比較的読みやすく、面白く描かれているので興味あれば当たってみて下さい。(とてもここでは書ききれないことの言い訳?)
この集団化した意識が媒介する、その反映しているものがどんなものかは、現代の我々でも簡単に理解することが出来ます。国家、民族、国際社会、法、思想主義、信仰、貨幣価値...要するに世の中がそう言っている、そう信じている全てのものと言ってもいいかもしれません。
そこにはそう在らしめているような、神に等しき中枢みたいなものも何となく感じられるでしょう。
でなきゃ、そんなものほっといて全くかまうもんか、ってもんでしょう。
著者はそれらはことごとく虚構の上に成り立っていると言います。なるほどそれらにホントの実在性など求められません。
しっかし...虚構ってのは、何でこうも重たいものなのかi この重圧のために毎日誰かが死んでいる...要らぬ争いは絶えない...他の生物もサピエンスの存続さえも脅かされている...
人類サピエンスは地上最強の生物であり、"最恐"、"最狂"の生物でもあった!
後半では、この我々の繁栄は我々に果たして幸福をもたらしたのか、ということに記述は及びます。
ところが、その幸福というもの自体も虚構のものにすぎないらしい? 例えば物質的に豊かになる、欲しいものを手に入れることなどが幸福にはつながらないのは全くその通りです。
幸福とは客観的その対象物と、主観的快適感情といったものの相対関係で成り立っていると著者は言うが...幸福は自分がそう感じなければ何になろうが、何を得ようがそうではない、と私は感じています。
著者は、幸福という感情をもたらすものは、生物学者が突き止めたという、セロトニンなどの脳内物質の分泌によるものだと強調しています。
それが分泌されると、快感が認知されるらしいです。幸福感は必ずしも表層的な快感、不快感(こうなっている時は、不幸)とはつながらないと私は思いますが...
これが問題に感じているのですが、それは先のようなうわ部の短絡的幸福追求の歯止めということに関しては意味がありますが、それで全て分かった事にはならないでしょう。その生物学者は、常時幸福感にあるという、オメダタイ人間でなければそういう決めつけなど出来ないでしょう。
この箇所を読んでいると、近い将来、幸福を人為的に操作出来るようになる日が来るような予感を覚えますが、実に暗澹たる気持ちにさせられます。著者が終わりの方で引き合いに出していた、フランケンシュタイン伝説と同じ道を辿ることになるのではないか?
幸福は決して研究室や実験室からは得られないものでしょう。
そして一個人には人類全ての歴史のことなど到底理解出来ない、という当たり前の事に突き当たります。
私がこの著から受けた印象で、ここに書かれていること全てが、「サピエンス全史」では無いということも言うまでもありません。
それは、全サピエンスを構成するであろう、一人一人の"自分史"に照らしてみれば自明のことです。
私は社会的生物としてだけで生きてきた訳じゃないのですi 毎日毎日嫌でも社会的生活を営まされているのはそのとーりです。
でも私の自分史の中で、その事が際立って印象に残っていることといったら...ほとんど"覚えちゃいないi"のですi(社会的役割の事などそこから離れれば瞬時に忘れてしまうし...) もっとも家族や友人関係をそれに当てはめれば事情はかなり違っては来ますが...
個々の生が集団化した時にこのサピエンスの歴史が成立し、その集団精神の血と汗と涙と大いなる幻想と無駄(?!)のドキュメントを通して今日我々はそれに触れることが出来るのでしょう。
そして私の個人的な内面のことが反映されない「サピエンス全史」など多分虚構でしょう。
我々は今日も嫌でもなんでも、この虚構に満ちた生を生きなければなりません。
でも我々一人一人が、"世の中という神"の声だけに従うがままにされることなく、私自身の神の声に耳を傾け、それが我々の総意的なものに反映されるならば、サピエンスの全ての歴史も変わるかも...しれません。




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