私は毎年、初春の今頃の時季、懐かしいさと共に、何とも言えない幸福な気分にさせられることがあります。
"40年くらい前、何があった、何をするでもなしに幸福な感じが込み上げて来て、じっとしてられない衝動に駆られてアチコチ歩いていたなあ...
よく行ってたのは都内の川べりだった...
目黒川沿い、中目黒辺りはまだ、今みたいなオシャレな街じゃなかった...
そっから上流の北沢川と合流する辺りまではまだ暗渠になっていなかった...
川沿いにあった、さほど高級でもないが、適度にアンティークな装いの喫茶店で、ベルジャーエフの本を読んで、やたらと気分が高揚していた..."
あれから41年...。時代は移り変わりました。見ている景色も変わりました。
そして、私も歳を重ねてゆきました。
時の流れは川の流れのように、同じままじゃありません。幸福だったのは、思いの中、過去の思い出としか残っていないのです。
しかし...こう書いている最中にも、"じんじん"としたものが込み上げて来るではありませんか?
確かに、若い、あの燃えるような高揚感というものは、後退したかもしれません。その分、何かじわっと心身に染み渡ってゆくような滋味みたいな感じが増したようです。
もっとハッキリ分かる違いがあるとすれば、この"きんきん"と鳴り続ける耳鳴りが有るかどうかでしょう。これは単なる老化現象かもしれません(笑)。
今の私は昔と違って、理解力が増したのか、こういう風にスラスラと感じたことを書き表すことが出来ます。ちっとは何かが進歩したのでしょうか?
あの頃は、自分はまだ未熟なので、もっと修行とはいかないまでも経験を積まないと、神的なものにつながることは出来ない、という思い込みがありました。(既に高揚感、幸福感に与っていながら、そういうものにつながりたいと願っていたのですi)
だけど、思いを超えた息吹きに与っていることに何の違いがあるでしょうか?
それは時代の、私の、ことに外的変化によって変わるようなものでは無いのです。私の思い、力如何に関わらず息づいているものなのです。
故に私は、獲得したり、開発したりするのでなしに、これに与ることしか出来ないのです。
この40年の間、これに与る感覚を失っていた時期もありました。しかし、暗渠のようにコンクリートでフタをされたような状態であっても、その下ではずっとその命の流れは途絶えてはいなかったのです。
だから、時は移り変わり、変遷というものはあっても、一連なりになっている感じが持てるのです。
40年前を今に、アリアリと幸福感と共に甦らせるものは、変わらない、思いを超えた息吹きに他ならないのです。
"40年くらい前、何があった、何をするでもなしに幸福な感じが込み上げて来て、じっとしてられない衝動に駆られてアチコチ歩いていたなあ...
よく行ってたのは都内の川べりだった...
目黒川沿い、中目黒辺りはまだ、今みたいなオシャレな街じゃなかった...
そっから上流の北沢川と合流する辺りまではまだ暗渠になっていなかった...
川沿いにあった、さほど高級でもないが、適度にアンティークな装いの喫茶店で、ベルジャーエフの本を読んで、やたらと気分が高揚していた..."
あれから41年...。時代は移り変わりました。見ている景色も変わりました。
そして、私も歳を重ねてゆきました。
時の流れは川の流れのように、同じままじゃありません。幸福だったのは、思いの中、過去の思い出としか残っていないのです。
しかし...こう書いている最中にも、"じんじん"としたものが込み上げて来るではありませんか?
確かに、若い、あの燃えるような高揚感というものは、後退したかもしれません。その分、何かじわっと心身に染み渡ってゆくような滋味みたいな感じが増したようです。
もっとハッキリ分かる違いがあるとすれば、この"きんきん"と鳴り続ける耳鳴りが有るかどうかでしょう。これは単なる老化現象かもしれません(笑)。
今の私は昔と違って、理解力が増したのか、こういう風にスラスラと感じたことを書き表すことが出来ます。ちっとは何かが進歩したのでしょうか?
あの頃は、自分はまだ未熟なので、もっと修行とはいかないまでも経験を積まないと、神的なものにつながることは出来ない、という思い込みがありました。(既に高揚感、幸福感に与っていながら、そういうものにつながりたいと願っていたのですi)
だけど、思いを超えた息吹きに与っていることに何の違いがあるでしょうか?
それは時代の、私の、ことに外的変化によって変わるようなものでは無いのです。私の思い、力如何に関わらず息づいているものなのです。
故に私は、獲得したり、開発したりするのでなしに、これに与ることしか出来ないのです。
この40年の間、これに与る感覚を失っていた時期もありました。しかし、暗渠のようにコンクリートでフタをされたような状態であっても、その下ではずっとその命の流れは途絶えてはいなかったのです。
だから、時は移り変わり、変遷というものはあっても、一連なりになっている感じが持てるのです。
40年前を今に、アリアリと幸福感と共に甦らせるものは、変わらない、思いを超えた息吹きに他ならないのです。