昨夜は、寝付きにかかっていた矢先に、都内でも震度4の地震がi
すっかり、寝そびれてしまいました。
震源に近い東北の方々は、大規模な停電の発生、相次ぐ余震など眠れない夜をお過ごしのことと思います。
早く明るい朝を迎えられますことを...。
実は私は昨日から一寸精神的に低調でして、体の方はさしてどうともないのですが、"ぶ~ん"という鈍く、重たい感じの耳鳴りが続いているのです。
これは、一年一寸前、肺炎らしきことにかかってしまった時以来だと思います。
健体だとハッキリ自覚出来ることがあります。
"意識を向けると、パッと開かれるi..."、ってことになってこないのです。あれはやはり"き~ん"という耳鳴りが何かのバロメーターみたいなものなのでしょう。
意識が通らない感じなのです。
"向く"っていうことは、"通る"ものがあるから、そうなるということなんですよ。これは、無為的な流れなのです。
通らないと、意識を向けようとしても、何かはね返されてしまう感じになり、自意識的、人為的な方に流れてしまうようなのです。
こうなってみて改めて思います。私はいつも事も無げにフツーでないようなことを書いていたのだなあ、と...。
全く、どおってことない人間にも関わらず、不相応な恩恵を受けていたのだなあ、と...。
でも、私は性懲りもなく、向けようとするしかありません。"うん、うん"なんて念じたり、力んだりしててもしょうがないことで、少なくともそういう方には依らずに、ただ意識を向ける(フツーのことを言っているのです)ことしか出来ません。
それでハッキリと分からされてきました。
これは、祈らされているのだ、ということが....これまで、そうとは気付かなかったのですが、正に私の思いを超えていることなのです。
だから、形あるものでなく、何を、どう祈るということではないですが...
あの霊なる命、息吹が自然のまにまに通って、開かれますように...
と、自ずと意識されるものがあるのです。どうも自分のためだけじゃないようなのです。
そして又、今日も又こうして性懲りもなく、書かされているのです。何でって...
そう、意識が向けられるように...向いたかな? 通ったかな?
おおっi....
日が差してきたではないかi..."じんじん"と...。
すっかり、寝そびれてしまいました。
震源に近い東北の方々は、大規模な停電の発生、相次ぐ余震など眠れない夜をお過ごしのことと思います。
早く明るい朝を迎えられますことを...。
実は私は昨日から一寸精神的に低調でして、体の方はさしてどうともないのですが、"ぶ~ん"という鈍く、重たい感じの耳鳴りが続いているのです。
これは、一年一寸前、肺炎らしきことにかかってしまった時以来だと思います。
健体だとハッキリ自覚出来ることがあります。
"意識を向けると、パッと開かれるi..."、ってことになってこないのです。あれはやはり"き~ん"という耳鳴りが何かのバロメーターみたいなものなのでしょう。
意識が通らない感じなのです。
"向く"っていうことは、"通る"ものがあるから、そうなるということなんですよ。これは、無為的な流れなのです。
通らないと、意識を向けようとしても、何かはね返されてしまう感じになり、自意識的、人為的な方に流れてしまうようなのです。
こうなってみて改めて思います。私はいつも事も無げにフツーでないようなことを書いていたのだなあ、と...。
全く、どおってことない人間にも関わらず、不相応な恩恵を受けていたのだなあ、と...。
でも、私は性懲りもなく、向けようとするしかありません。"うん、うん"なんて念じたり、力んだりしててもしょうがないことで、少なくともそういう方には依らずに、ただ意識を向ける(フツーのことを言っているのです)ことしか出来ません。
それでハッキリと分からされてきました。
これは、祈らされているのだ、ということが....これまで、そうとは気付かなかったのですが、正に私の思いを超えていることなのです。
だから、形あるものでなく、何を、どう祈るということではないですが...
あの霊なる命、息吹が自然のまにまに通って、開かれますように...
と、自ずと意識されるものがあるのです。どうも自分のためだけじゃないようなのです。
そして又、今日も又こうして性懲りもなく、書かされているのです。何でって...
そう、意識が向けられるように...向いたかな? 通ったかな?
おおっi....
日が差してきたではないかi..."じんじん"と...。