人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

思いの抜け道

2021-02-27 10:05:44 | 求道、探究
自分の人生を省みて、人間の性格というものは、変わらないものだとつくづく思います。
少なくとも、自分から変えようと思って変わったためしなどありません。
例えば、自意識にトラワレて神経症のようになる性格なんかは、そうして変えられない、変わらないことでかえって自分を責めて、新たな神経症の種を生み出してしまう始末です(笑)
しかし...あれほど私の精神を苛み続けた、あの思いのガンジガラメ地獄というのは、何十年もご無沙汰になっているのです。今のところ...
先の理由で、自分でそれを克服したという感じは持てないのですが...
勿論、悩み多き人生ではある訳で、心が引っ掛かるようなこともあるのですが、大概はすぐ解消されてしまいます。自然と...。
そう、自然と"神的なものに意識が向けられる..."、これが大きいことなんですi これが本当に神がかったことなんですi
神的なものは思いを超えているものなのだから...
よく悩んでいる時は、空とか海とか大きなものを見たらいい、とか言います。
原理は同じようなものなのでしょうが、それよりもはるかに即応的です。
見てるだけじゃなくて、じんじんと意識に浸透してゆく感じがあります。
そして、自分は自分だけで生きているんじゃない、ということが感じられてくるのです。
そういう風に自分の思いをコントロールしたり、イメージ.トレーニングするってことじゃありません。
それも悪くないでしょうが、どっかに思いの抜け道を作った方がいいでしょう。
要するに、自分をどうこうするってことじゃない、自分の思い、行為のことにするんじゃないのです。
自分がどうなってても、そのままでいいってことです。
といって、自分が苦境に陥っている渦中にあって、そのままでいいことにはならないですよ。
"そのままでいい、そのままでいい"、と思おうとしたって、苦しいものは苦しいのです。
それでも、どっかに思いの抜け道は感じられるはずです。人間はいくら頭の中に思いが一杯であっても、思いだけで生きてる訳じゃないのですから...たとえわずかな隙間、通気孔のようなものであっても...
そこから漏れる僅かな新鮮な空気が感じられれば、それがいつの間にか思いの密閉状態から解放してくれるのです。
いつの間にか、その僅かな空気が自分のすべてを包んでいるようになってしまう...
神的な気というもの...それが感じられたら、感じられるから、そのままでいいのです。
実は自分でこう書いていて、どうしてこういう風になったかよく分からないのです。
ただ、意識が向く、向いちゃった、としか言いようがありません。
自分で自分を変えることは出来ないけど、最愛なるものにあって、春の訪れのように、変わる時は変わるということでしょう。

コメント
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