人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

正直に生きよう

2021-02-07 10:53:23 | 雑感
正直に言いますi
私はこれまで随分とここで、自分が如何に超然とした、あるいは悟ったような人間であるか、ということを読み手に持たせるようなことを書いてきたように思います。
色んな意味で、私はどうしたって悟ることなど出来ない人間なのですが、まあ正直、浮き世離れしてるというか、全然世の人と歩調を合わして生きてないところがあります。
"世の人のことなんか知ったこっちゃないi"、っていう風に...
しかし、これがうんと社会的な面、生業の場においては全くそうでは無いのです。もっともそうであったら、"手動は無為にして為すi"、なんて大変なことになるんでしょうけど...
私は普通に企業に隷属して、他の人と歩調を合わして働いている人間に過ぎないのです。
従って、職場では自分が関係している企業の不利になるようなことは言いません。契約書とかでも、現在、病気持っていてもそれを隠したり、事実をありのままに申告したりなどしません。(社長さんi あんなものは紙切れってことでよろしいのですよねi)
このように、多くの(大人の)社会生活ではウソが罷り通る何てのは常識でしょう。
この世界に居たら、心身の疲労、ストレスといったものがどこから来るのかがテキメンに分かります。
キツネとタヌキが化かし合い、揚げ足を取り合ってるような、"黒会"などなんで開いている意味があるでしょうか?
すべての裁判というものは、最初の宣誓においてすべて決せられる、と私は思っているのですが、これほど神の名において、神を冒涜しているものはあるでしょうか?
"ああ、神の御前にあって..."、正直でありたいi 正直にならざるを得ないではないかi
正直であることは、けっしてウソはつかないということではありません。
"私はウソは申しませんi"、というほどのウソつきは居ません。
正直な人間は二度ウソはつかない..."君はウソをついているだろうi"、とツっ込まれたら、どうしても隠しおおせなくなるものです。
正直な人間は、自分がウソつきであることを認められる人間です。つまりはありのままを受け入れられるということに他なりません。
"正直に言わんと、タメにならんぞi...さっさとゲロしちゃえよ、らく~になるぞi"
悪いことしようが、しまいがみんなホントはらく~になりたいんじゃないですか?
ホントは弱いのに強く見せなければならない...ちっとも幸せじゃないのに、ハッピーなふりをする..."バレたらどうしよう"と、いつもオドオドしてなきゃならない...綻んできたら、取り繕いにあたふた...一体、誰が何のために戦ってんだi...自分がぼろ切れのようになるだけなのに...
社会生活ではどうしても人の目、世の目を意識してしまうものです。でも、私はせめて自分自身には正直でありたいのです。
といって、何もバカ正直になるってことじゃりません。
他人や関係する企業について正直に言うと、多くの人が不利な立場に置かれてしまうことになりかねなくなります。コロナ禍の今のご時世だし...
でも、私個人のことについては今後(なるべく)正直に対処するつもりです。紙切れのような契約書にサインなどしませんi
それで他人が不利を被ってしまったり、あるいは私がクビになったとしても致し方ありません。(どうして、こういうことには今まで意識が向かなかったのだろうと正直思います)
すべての人は自分に見合った通りにしか生きられません。ウソも隠しだても無く...それがありのままということです。
光が当たるまんま...吹きさらしのまんま...ああ、何て清々しく、らく~で居られることでしょうi...何でウソで固められた鎧を着て苦しんでいるのでしょう。
何故、この我々の世界はかくの如くになっていないのでしょうか?...ウソっぱちで溢れているではないかi...みんな夢じゃないのかi

みんな正直で、ありのままだったら...この人類世界がまるごと覚醒するであろうi...


コメント (3)
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