私がいつも書いていることは、言わば神の国の音信を伝えているようなものなのです。
もっとも神の国といったって、実現してみないと、どんなものだか分かりゃしませんね。
そこは私の想像を働かせてと...と、いうんじゃなくて、しきりに見えない導きのようなものに促されているんです。
そうすると、実際は神の国のことは知らないのですが、促されるまま、感じたままを書かされる訳です。
例えば、これはもっともイメージされやすいことですが、我々が太陽の光に与れるように、もの皆が一なる生命、光源より、あのすべてを照らす光の恩恵に与るようなことです。
促されるということは、実際にそういうものの何がしかを受けて、感じているということに他ならないのですが、空想に任せて思い描くこととはちと違いますよ。それは思いを超えた世界よりの音信なのだから...
一なる生命、神的なものを頂く...それを求めての飽くなき、人間的な、有限な思い、力に依る戦いは終わりを告げることになるでしょう。
こういうものに与りながら、より高き次元を目指し、究極の悟りのようなものを追い求めることに何の意味があるでしょうか?
他のものを差し置いて、"私だけは悟っている"、などと宣う人間はどこに居るでしょうか?
そういう人間は、一なる生命から切り離されることになるのではありませんか?
"ああ、私はどんなに愛、平安に与っても、どうしても、どうしても全的な、ホールネスなそれを実感することが出来ないi...私の世界はかくの如くあるから..."
私はその愛、平安を目の当たりにした時に示されていたのです。この個なる私は、普遍的全体なるものと切り離されていないということを...
そのものにあっての愛、平安なのだということを...
個と普遍の相即...全一なるものが開かれるのみ...
思いを超えた神のみ顕れ...思い思いに信じられている神は幻想となる...狂信者は、自分の夢の中でずっと戦い続けているのです。夢だと気付くまで...
"宗教が無くならなければ、弥勒の世は来ない!"(出口王仁三郎)
宗教、イデオロギーの対立...今、ここに在る、愛と調和が失われているという思いから、それを自分の向こうに追い求めようと、人類は飽くなき相克の歴史を繰り返してきたのです。神、真理、正義の名の元にi...こりゃ、全く夢じゃなかろうか?
夢から覚めたら、日の光がそれまでと全く別のもののように感じられてくるでしょう...。
この目に見える現実というものは、果たして本当に現実なのか、それとも...
実に奇妙だi...
私は一体今、何に与り、何に促されてこれを書いているのだろう...
来ない先の未来のことを書いている気がしないi
私の回りで、世界で起こっていることはすべて夢に思える。
一体、誰が目覚めるというのだろうか?
少なくとも...
今、感じ、促されているもの...これこそは疑うことの出来ない現実なのだi
もっとも神の国といったって、実現してみないと、どんなものだか分かりゃしませんね。
そこは私の想像を働かせてと...と、いうんじゃなくて、しきりに見えない導きのようなものに促されているんです。
そうすると、実際は神の国のことは知らないのですが、促されるまま、感じたままを書かされる訳です。
例えば、これはもっともイメージされやすいことですが、我々が太陽の光に与れるように、もの皆が一なる生命、光源より、あのすべてを照らす光の恩恵に与るようなことです。
促されるということは、実際にそういうものの何がしかを受けて、感じているということに他ならないのですが、空想に任せて思い描くこととはちと違いますよ。それは思いを超えた世界よりの音信なのだから...
一なる生命、神的なものを頂く...それを求めての飽くなき、人間的な、有限な思い、力に依る戦いは終わりを告げることになるでしょう。
こういうものに与りながら、より高き次元を目指し、究極の悟りのようなものを追い求めることに何の意味があるでしょうか?
他のものを差し置いて、"私だけは悟っている"、などと宣う人間はどこに居るでしょうか?
そういう人間は、一なる生命から切り離されることになるのではありませんか?
"ああ、私はどんなに愛、平安に与っても、どうしても、どうしても全的な、ホールネスなそれを実感することが出来ないi...私の世界はかくの如くあるから..."
私はその愛、平安を目の当たりにした時に示されていたのです。この個なる私は、普遍的全体なるものと切り離されていないということを...
そのものにあっての愛、平安なのだということを...
個と普遍の相即...全一なるものが開かれるのみ...
思いを超えた神のみ顕れ...思い思いに信じられている神は幻想となる...狂信者は、自分の夢の中でずっと戦い続けているのです。夢だと気付くまで...
"宗教が無くならなければ、弥勒の世は来ない!"(出口王仁三郎)
宗教、イデオロギーの対立...今、ここに在る、愛と調和が失われているという思いから、それを自分の向こうに追い求めようと、人類は飽くなき相克の歴史を繰り返してきたのです。神、真理、正義の名の元にi...こりゃ、全く夢じゃなかろうか?
夢から覚めたら、日の光がそれまでと全く別のもののように感じられてくるでしょう...。
この目に見える現実というものは、果たして本当に現実なのか、それとも...
実に奇妙だi...
私は一体今、何に与り、何に促されてこれを書いているのだろう...
来ない先の未来のことを書いている気がしないi
私の回りで、世界で起こっていることはすべて夢に思える。
一体、誰が目覚めるというのだろうか?
少なくとも...
今、感じ、促されているもの...これこそは疑うことの出来ない現実なのだi