人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

どこまでも思いを神に!

2022-07-18 09:55:51 | 
一昨日失ったカードケースが...昨日出て来た!
よかった!...不幸災難が一夜でラッキーに!
出て来たから言う訳じゃないですが、どうも失くしたという感じがしなかったのです。 “‘きっと出て来る!“、という予感もありました。
ああいう日常のすったもんだのこともブログに書いてみるもんですね。見えない“お助け“ネットワークとつながるみたいだし?...
そして、このことは、ただ“よかった!“、というだけのことにしてはいけないのです。
ああいう目にあっても、あの御方のご愛に与れる!...そのことをもっと日常と一枚のものとして深めて行かないと...って誰が?、私が?...そおなんだけど、そおじゃない!
私がそういう境地を目指すとか、そういうことじゃありません?
神智学や本山博さんなどによると、悟りに至るには、アストラル界とかカラーナ界とかのレベルを経て、プルシャのレベルに達すると、個体的レベルを超越して、神的なものと合一するのだそうです。個体的レベルを超越するという境地?
これはもう、言葉では言い表せない段階であろうことは分かるのですが、誰がそういう境地に居るのか?、その境地に至ると、ある種の霊能力が開けるそうですが、誰に開けて、誰にそれが可能なのかどうか?...それともそう思いたいのかどうか?...“君、どう思う?、どう感じてる?”
もう、現実に即して言えば、神的な、絶大なるものが、顕わになり、通られてゆく...ただそれに意識され、ゆだねるしかない!...
その中に私が深まってゆくということはあるでしょう。それはどこまでも“深められてゆく”、ということなのです。
何でこういうことを強調するかというと、元々そういう質を強く持っていた、”私が!“、という自我意識から離れるためですよ!
いや、そのためってのもありましたが、いつのまにか、もう、自然とそうなってしまう...
アストラルとかカラーナとかプルシャだとかのことは知らない!
”自分が、自分が”と思っているレベルか、それを超えた神的レベルしかないだろう?...
初めから、”神に導かれ、神が顕わになり、通られる”、ということがあるだけなのです。
そう、初めから私はプルシャのレベルに居たのです!...ってそんなバカなことは無い!
あのね、だったらあんな”すったもんだ”、やってる訳ないでしょ!
私は、どんなにダメ人間でも、自分の思いを神に開いていたい!...ただそれだけです。
そうでないと、この浮き世はやり切れないし...
言葉で言うのは簡単ですが、”どこまでも思いを神に!”...これは、すべての人生でとてつもなく大きいことです!
コメント
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