スピリチュアルというと、背後霊とか憑依霊などのことが語られたりするようですが、私はこのブログで、そういうことにはほとんど触れてきませんでした。
理由は、そうした存在が実在するかどうかも分からないことですし、まずその気も起こらないからです。
だってそんな話聞いているだけで、何だか”ざわざわ“と心持ちが落ち着かず、分裂するようになり、重た~い空気に取り巻かれるような感じがしてくるでしょう?
要するに普段よりも思念に囚われたりするのです。
本来のスピリチュアルというのは、同じ霊的であっても、思いを超えた世界の消息を伝えるものなのです!...そおして意識は、”じんじん“とある本源へと自ずから集められてゆく...これをその本源よりの光~真の光に照らされ、導かれると言ってもいいでしょう。
私は、かつて入信していた新宗教で、イヤと言うほど先のような思念霊に関わることに接してきたのです。
そこに伝わる秘儀?を通じて、“霊(何の霊か?)は実在する!”、という証明を立てているように教団側は主張するのですが、確かに“生きてる”人間を通じて、それとは別の人格と思しきものが浮かび上がるような現象は頻繁に起こりはしましたが、何かの暗示(この要素は多分にある)によるものか、真相は分かりゃしないのです!
実在云々に拘るのは、霊ならぬ物質次元のことじゃありませんか?
霊が実在する、それも守護霊とかならいいけど、邪な霊なら尚のこと、思念が囚われるようなことはどうでもいいことではありませんか?!
率直にお聞きします。あなたは憑依霊と聖霊とどちらと関わりたいと思いますか?
色々な意味で、見えないスピリチュアルな道において、どういう世界に導かれるのか?...こういうところに分岐点があると言っても過言ではありません。それはそのごく初期の段階に据えられていたりするのです。
”あなたも霊の世界を体験することが出来る!“、というのが、その教団の謳い文句でしたが、私は先の秘儀について、何度も”施術“側の役はやらされていましたが、二年ばかしの入信期間中、幸い?にも、ただの一度も自ら“霊が浮く”、という現象に見舞われたことがありませんでした。
その数年後、“聖霊体験に与りたい(言い回しが違う!)!”と熱望していた時とは大違いです。
それについて、そこの指導役の人からは、”あなたにはよほど強い、業の深い霊が憑いているようだ“、と言われましたが...
私の奥では、“私はそのような業などには、ひっかかりはしないぞ”、という思いが過っていたのでした。
これは、私の本心なのか、私の中の強固な邪悪な霊の思いなのか、はたまた両方なのか...判然としていないのですが...
理由は、そうした存在が実在するかどうかも分からないことですし、まずその気も起こらないからです。
だってそんな話聞いているだけで、何だか”ざわざわ“と心持ちが落ち着かず、分裂するようになり、重た~い空気に取り巻かれるような感じがしてくるでしょう?
要するに普段よりも思念に囚われたりするのです。
本来のスピリチュアルというのは、同じ霊的であっても、思いを超えた世界の消息を伝えるものなのです!...そおして意識は、”じんじん“とある本源へと自ずから集められてゆく...これをその本源よりの光~真の光に照らされ、導かれると言ってもいいでしょう。
私は、かつて入信していた新宗教で、イヤと言うほど先のような思念霊に関わることに接してきたのです。
そこに伝わる秘儀?を通じて、“霊(何の霊か?)は実在する!”、という証明を立てているように教団側は主張するのですが、確かに“生きてる”人間を通じて、それとは別の人格と思しきものが浮かび上がるような現象は頻繁に起こりはしましたが、何かの暗示(この要素は多分にある)によるものか、真相は分かりゃしないのです!
実在云々に拘るのは、霊ならぬ物質次元のことじゃありませんか?
霊が実在する、それも守護霊とかならいいけど、邪な霊なら尚のこと、思念が囚われるようなことはどうでもいいことではありませんか?!
率直にお聞きします。あなたは憑依霊と聖霊とどちらと関わりたいと思いますか?
色々な意味で、見えないスピリチュアルな道において、どういう世界に導かれるのか?...こういうところに分岐点があると言っても過言ではありません。それはそのごく初期の段階に据えられていたりするのです。
”あなたも霊の世界を体験することが出来る!“、というのが、その教団の謳い文句でしたが、私は先の秘儀について、何度も”施術“側の役はやらされていましたが、二年ばかしの入信期間中、幸い?にも、ただの一度も自ら“霊が浮く”、という現象に見舞われたことがありませんでした。
その数年後、“聖霊体験に与りたい(言い回しが違う!)!”と熱望していた時とは大違いです。
それについて、そこの指導役の人からは、”あなたにはよほど強い、業の深い霊が憑いているようだ“、と言われましたが...
私の奥では、“私はそのような業などには、ひっかかりはしないぞ”、という思いが過っていたのでした。
これは、私の本心なのか、私の中の強固な邪悪な霊の思いなのか、はたまた両方なのか...判然としていないのですが...