人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

何故、神そのものに向かわないのか?

2022-07-20 10:30:11 | 
私の辞書には”努力、精進”という言葉は無いかの如くです。ズボラなんです!
多分、この性向は死ぬまで直らないでしょう。
こんな私が、”神的なものに与っててていいのだろうか?”(勿論、それは努力して得たものじゃありません)、って思うこともあります。
多分...いいんだろう?...何かの間違いかもしれないが...それに私には不相応だからと、返そうと思っても、返すことが出来ない!...”今日は世界チャンピオン、明日は無冠!“...得たものは失うのが世の常ではありませんか!...何という恵みであろう!
イヤ、ホントは返そうと思ったことなど一度として無いですよ!...私だって、恩寵というものの得難さ、そういう思いは、不遜も甚だしいということは分かっているつもりです。
私はただ、思い描かれたものでない、生きた神的なものにつながりたかっただけなのです!
そういう私を...“心から褒めてあげたい!...お前がどんなにダメで、ミジメであろうとも、そのことだけは!...それを外したらお前には何にも無い、お前は何でも無い!”...うー、結構すぎて、涙が溢れ出るではないか!
そんな私がいつも思うこと...”多くの人は、何故神を求め、その恩恵に与ろうとしないのだろうか?“
”イヤ、そんなこといつでも思っている、何年神信心をし続けてることか!”、と思っている方も多いことでしょう。そのために修行、努力を怠らないんだとか...
イヤイヤ、私が言うのは、漠然と思っているだけだったり、自分の信仰、信念のことだったり、自分の力に頼るようなことではありません!
何故、神そのものに向かって、ぶつかっていかないのか?、ということなのです!
自分の信念や力をタテのようにしているのなら、いつまで経っても神に開かれることがありません。自分に閉ざされたまま、ということ...だから、狂信者ほど神に遠い者は居ないのです。
これには、神についての先入観、固定観念などがアダになっているのでしょう。
本来性から外れた宗教、スピなどが、あなた本来の神、神そのものから遠ざけているのです。
その迷妄から覚める道でもっとも強力なものは、あなたの神、神そのものにつながることに他なりません。
然るに、何故、神につながるには、何段階ものレベルを通過しなければならないとか、チャクラのすべてを開かなければならないとか、面妖な道をわざわざ設えなければならないのだろうか?!...何故、なぜ、ナゼ???
あなたの神がそう教えたのだろうか?
真に、マコトに...どうかあなたの神に尋ねて下さい!...祈りをもって!
祈るということは、思いめぐらしたり、何かを信じ込むことじゃありません。
そうした意志想念を超えた、意識を神そのものに向ける、否、祈ることで意識が自動的に向かうということです。
そして、感じ取って欲しい...必ずや、思いの覆いが取り去られ、そこから光が差し込むことで、愛、平安に導かれるのを!
こういうことは、努力しない、ズボラな私だから言えるのかもしれません。
”何も為すことは出来ない!、祈ること以外は”...それは真実に神に出くわしたら分かることなのですから...

コメント
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