「仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたもう」(梁塵秘抄/岩波文庫他)
この歌の一節には、どこかで見た、聞いた記憶もありますが...私はつい先日まで知らなかったのでした。
日本人として恥ずかしい?...いやいや、そんなこと以上に今、”日本人として生まれて良かったなあ”、と喜びを噛みしめているところです!
これはわが命そのものなる、神的な現臨を謳った調べでなくてなんであろう!
私がここで言い表して来たものが、実にこの歌に凝縮されているではありませんか?!
この歌は、「今様」という、平安時代の流行歌謡だそうです。道歌のようなものでは無く俗歌なのです。
作者は、法華経辺りから題材を借りたようですが、どういう心境のもとに綴られたものかは知る由もありませんが...ヒシヒシと何かが伝わってきます。
あるいは、隠れていた仏様、如来が現に顕わになったのを感じて、至福に与りながら謳ったのでしょうか?...”仏は常にいませども”...仏、如来は常に居られる...
平安の時代、すでに仏、如来の現臨感を失ってしまったことがリアルに伝わってきます。しかし、少なくとも作者には、仏、如来は隠れて見えないが、我々の根底に息づいているもの、という直覚はあったようです。
それが現に顕わにならなければあわれ、空しいことではないか?...逆にそれが顕わになることが如何に至福をもたらすものであるかが直感されていたのでしょう。
それは、観念で無しに現実のものとして覚えられていたのです!
人の思いから離れた夢に現れるという...夢は現つの事態では無いのか?、夢から覚めたら幻となって消えてしまうのだろうか?...いいや、作者は暁を見ていたのです!
これまで見て、感じた世界とは一新された、暗闇に光が差しこんだ世界!
夢でも覚めても、それは現つの事態であったのではないか?!
寝て、起きたらそうなっていた!...全く人の思いを超えた、音の無い世界でことは起きていた!
私は何度となくこういう事態のことをここで書いて来ました。平安時代は今は昔...
名も知らぬ作者よ、よくぞこの”うた”を伝えてくださった!...これが俗歌であるとは、文学史上の奇跡と言うべきではありませんか?!
どっかでこれを読んでいるのか?...今、私がその”あかし”を書かされてることにも奇跡を感じてなりません!
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたもう」(梁塵秘抄/岩波文庫他)
この歌の一節には、どこかで見た、聞いた記憶もありますが...私はつい先日まで知らなかったのでした。
日本人として恥ずかしい?...いやいや、そんなこと以上に今、”日本人として生まれて良かったなあ”、と喜びを噛みしめているところです!
これはわが命そのものなる、神的な現臨を謳った調べでなくてなんであろう!
私がここで言い表して来たものが、実にこの歌に凝縮されているではありませんか?!
この歌は、「今様」という、平安時代の流行歌謡だそうです。道歌のようなものでは無く俗歌なのです。
作者は、法華経辺りから題材を借りたようですが、どういう心境のもとに綴られたものかは知る由もありませんが...ヒシヒシと何かが伝わってきます。
あるいは、隠れていた仏様、如来が現に顕わになったのを感じて、至福に与りながら謳ったのでしょうか?...”仏は常にいませども”...仏、如来は常に居られる...
平安の時代、すでに仏、如来の現臨感を失ってしまったことがリアルに伝わってきます。しかし、少なくとも作者には、仏、如来は隠れて見えないが、我々の根底に息づいているもの、という直覚はあったようです。
それが現に顕わにならなければあわれ、空しいことではないか?...逆にそれが顕わになることが如何に至福をもたらすものであるかが直感されていたのでしょう。
それは、観念で無しに現実のものとして覚えられていたのです!
人の思いから離れた夢に現れるという...夢は現つの事態では無いのか?、夢から覚めたら幻となって消えてしまうのだろうか?...いいや、作者は暁を見ていたのです!
これまで見て、感じた世界とは一新された、暗闇に光が差しこんだ世界!
夢でも覚めても、それは現つの事態であったのではないか?!
寝て、起きたらそうなっていた!...全く人の思いを超えた、音の無い世界でことは起きていた!
私は何度となくこういう事態のことをここで書いて来ました。平安時代は今は昔...
名も知らぬ作者よ、よくぞこの”うた”を伝えてくださった!...これが俗歌であるとは、文学史上の奇跡と言うべきではありませんか?!
どっかでこれを読んでいるのか?...今、私がその”あかし”を書かされてることにも奇跡を感じてなりません!