人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

通るものがある!

2023-05-29 09:43:37 | 仏教関連
「弥陀の五劫思椎の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)

当たり前のことながら、私には私以外の人間が何を思い、何を願って生きているのか、ということは分からないのです。
まして、世界人類のことなど!...
そういうことは抽象的にしか伝わらず、あっしにゃ、直接関わりのないことなのです。
私は、どこまでも私自身に示されたこと、与えられたことをしっかり感受していくのみなのです。
それは、全くもって私に即したこと、実存的なことという他ありません。
例えば、神的な現臨にあって、愛、平安、リアリティに与る、という...それを他人事、一般論のようなもののように言い表すことなど、出来ようはずなどないじゃありませんか?
これこれ、こういう法則、メカニズムみたいなもので、そういうことになるのか、どうかは知りません。
ただ、私は如何なる虚飾もなく(性懲りもなく)、ありのままを伝えるだけなのです。
仏教的には、私にはそういう宿縁があるということなのでしょう?
それはね、そうなっちゃったんだから、しょうがないってことです。
それは、五劫からなのかどうか?...もう気が遠くなりそうですよ!...この私にか!
何かの間違いなのかもしれないけれど...しかと感受しなければならない!
感受されたものは、通る!...それは”ここ”を通って行くのです。そうならざるを得ない。
縁というものは、私のもの、私だけのものというものは何もないのだから!...
阿弥陀如来というのなら、それは”無量寿、無量光、無礙光”なるもの...はかり知れない永遠の命、はかり知れない、どこまでも障りなく、普く通ってゆく光なるもののことです。
そういう縁に出くわしちゃったんだから、伝えなきゃしょうがないのです。
そういう一人の私において!...一人であっても、私個人だけということじゃないのですよ!
通るものがあるのだから!...神的な現臨にあるとは、そういうことなのです。
通ったものは、無辺に広がってゆく...
一つがすべて!...”ここ”から切り離された、世界人類などあり得ようはずがないのです!
だから、今日も...
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏...
世界人類が平和でありますように...

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