「酒もやらずタバコもやらず百まで生きたバカが居た」は若い頃にいつも
「飲み」に誘ってくれた職場のG先輩の得意フレーズだった。
「そんなバカな人生があってもいい」と思いつつも酒との縁が切れないまま
だが、減量のため年末から何度目かの断酒を始めた。
直ぐに気付くのは「頭がすっきりし、時間を有効に使える」こと。
そんな大きなメリットがあることを何度も経験していながら「長続きしな
かった」のは意思薄弱なためか。
今回、断酒と腹八分目の食事で半月経過したが、残念ながら体重は80kgを維持
したままとなっている。
それでも「習慣は第二の天性」と信じ、断酒を続けるつもりでいる。
残された人生を「健康長寿」で全うするために・・・。

ちなみに、当ブログにいつもコメントを入れてくれるsunasanさんは、酒豪
だったにも関わらず10年ほど前から断酒を続けている。
その意志の強さに敬服するしかない。
また、メリー・ジェーンを歌った、つのだひろも「一日の時間が有効に使え
るので断酒した」とTVで話していた。

そんな折、次の記事を興味深く読んだ。
「お酒を飲まない生き方」(朝日新聞「天声人語」2023.1.8)
はやりのカタカナ言葉は何やらごまかされているような気もしてどうも苦手
だ。ただ、これにはハッとさせられた。ソバーキュリアス。直訳すれば、しら
ふの好奇心。あえてお酒を飲まないことで得られる気づきといった意味か▼
作家の桜井鈴茂(すずも)さん(54)がそんな断酒の生き方を始めたのは
3年前。ひどい二日酔いがきっかけだった。すぐに気づいたのは「1日の時間
が長く感じられるようになりました。頭がすっきりし、夜には読書もできる」
▼以前はほぼ毎日晩酌していた。朝起きるとけだるい。疲れがとれない。酔う
と攻撃的に議論をふっかける自分が嫌だった。「何度も酒で失敗しました。
あと10年早くやめておけばよかったな」▼不便を感じたのは飲み会の席で
注文できる飲み物が少ないこと。「この社会は飲酒する人に合わせてデザイン
されている」と実感したそうだ。世界各国のおいしいノンアルコールのビール
を集めたバーを、自ら東京・目黒に開いた。「酒飲み文化への抵抗です」
▼確かに人類の歴史はお酒との歩みにほかならない。〈夕(ゆうべ)として飲ま
ざるなし〉とうたったのは晋代の陶淵明。〈一杯一杯また一杯〉との名詩を残し
た李白は〈一飲三百杯〉と誇った。もしも偉大な詩人たちが晩年に禁酒していた
なら、どんな詩を残していただろう▼きょうは正月事納め。年末年始、痛飲して
しまった人もいれば、楽しく飲んだ方もおられよう。飲むか。飲まないか。人間
らしい悩みのなかに新たな気づきを見つけたい。