霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

桃源郷

2006-11-06 18:41:04 | 家族
「霜後の滝」のある霜後地区は僅か19戸が暮らす小さな集落。
自家用車が一般化していなかった時代はバスが主要交通手段だった。
霜後は萩荘の上大桑と厳美のほぼ中間に位置しており、バス停までは約3kmの道のりを歩かねばならなかった。
オジサンが始めてこの地を訪れたのは40年前。
上大桑バス停を降りて急な坂道を昇った。
昇り切って下りにさしかかった時に初めて集落が見えて来た。
桃の花が咲く季節ではなかったが、「桃源郷」に足を踏み入れる心境で坂を下りたことをハッキリと覚えている。
今振り返って見ると、霜後を「終の棲家」として農業に従事する運命はあの時既に決まっていたようだ。



オバサンとオジサンは高校の同級生だった。
普段はガサツなオジサンだが、見かけによらずロマンチストで「初恋の人と結婚する」と幼い頃から心に決めていた。
たまたま「初恋の人」が農家の跡取り娘だったため、スッタモンダの挙げ句婿入りすることとなった。

男にとって苗字を変えるというのは不名誉なことであり、この辺りの農家では今でも「婿」は差別的扱いを受けることがある。戦後の民主主義教育を受けた世代には耐えられないことだが、オジサンはそうゆうものには無頓着で、虐げられながらも図々しく生きて来た。

各地を転々とするサラリーマン生活が始まって、農業とは完全に縁が切れたと思った時期もあったが、「初恋の人」の強い希望で本来の道に回帰した。

今は農業をしながら「桃源郷」を現実のもとのとするため、二人で忙しい毎日を送っている。



昭穂さんの作品「霜後の滝の写真シリーズ」五回目(最終回)。
「霜後の滝」は霜後地区のほぼ中央に位置している。
行楽シーズンでも観光客はまばらなので、草花を眺めながら静かにゆったりと田舎の雰囲気を味わえる。
小さな神社にお参りしたり東屋でのんびり休憩もできる。

霜後の住人でも滅多に河原まで降りる人は居ないと思うが、昭穂さんは小まめに足を運んでこんな素晴らしい写真を撮ってくれていた。
このブログへの掲載を快諾して頂いた昭穂さんに改めて御礼申し上げ、今回の昭穂さんの「霜後の滝の写真シリーズ」を終わりとしたい。
なお、昭穂さんのHPには、「霜後の滝」以外にも一関周辺で撮影した素晴らしい写真が沢山掲載されていますので是非ご覧下さい。
http://homepage2.nifty.com/hozumi/
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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あぐりおじさん)
2006-11-06 19:47:38
巻頭のお話は良いお話ですね
私は次男、婿行きを夢見たが叶わず、現在に至っています。
私の大家さん、友達など・・・いっぱい婿取りが居ます。特に大家さんは二代連続ですって・・・
結構わがままな婿さんらしいです。その姑のオッピイさんがそう漏らしていました。産直の仲間なんです。
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Unknown (つー助)
2006-11-06 19:51:37
その桃源郷、霜後桃源郷を今日見たのでありました。夕方近くに突然おじゃましてしまい、申し訳ありませんでした。当地も山間地ではありますが、とてもすばらしい自然環境であると思って帰ってきました。霜後の滝の滝の音がすぐ聞こえるのが何とも風情があると思いました。このブログを教えてもらってから、ほぼ日課のように毎日拝見してますが、これから益々ブログのバックのシーン(記事の背景)が身近に感じられそうです。
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Unknown (masa)
2006-11-06 22:30:22
今夜は改めて、おじさんとおばさんの馴れ初めからの良いお話を聞かせて貰いました。人の一生って何に!って考えさせられも致しましたよ。いえいえ、けして大げさじゃないです!ひとつ峠を越えて山裾に広がる集落、それは正に「桃源郷」だったのですね!
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Unknown (ひろろ)
2006-11-06 23:13:09
はじめまして。
少し前から読み逃げをしてました。
脱パートで花作りを少しやってます。
私も姉妹の長女です。
夫が無事定年を迎えたなら一緒にゆっくり花作りをやろうと希望しながら技術を深めようとはしていますが上手くいかないです。
またお邪魔させてください。
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Unknown (空兵)
2006-11-07 10:28:47
歴史を感じさせるお話です。生まれ故郷と違う、故郷を持つ運命ってあるんでしょうね。

我々のところでもかつては「養子さん」なんて呼んだりしていました。そのせいか、生まれつきいる人より、気張られる(頑張る)方が多かったようです。
今は同居していても姓を変えていなかったり、いろいろですね。
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Unknown (「霜後桃源記」)
2006-11-07 20:01:12
あぐりおじさん コメントありがとうございます。
我が家のジイチャン、バアチャンも「ワガママな婿を貰って世界で一番不幸」と思っていますが、婿は「こんないい婿に恵まれたジジ、ババは世界で一番幸せ」と思っています。それほど大きなギャップを抱えながらも一緒に暮らしているのを「スゴイ」と思って下さい。

つー助さん コメントありがとうございます。
折角お越し頂いたのに主役のオバサンが不在で、満足にお構いできず申し訳ありませんでした。
ご自宅と15分ぐらいの距離というのは嬉しいですね。今度二人で見学にお邪魔します。

masaさん コメントありがとうございます。
サラリーマン時代なら「こんなに忙しく働いて何を目指すの?」という事を考えたと思いますが、今は、スポーツで優勝を目指して頑張るのと同じで、やっていること自体が楽しいという気がしています。
それって、既に「桃源郷」の境地でしょうか。
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Unknown (「霜後桃源記」)
2006-11-07 20:22:17
ひろろさん コメントありがとうございます。
はじめまして 立派なHPをお持ちですね。
我が家でも来年は花栽培にも取り組みたいと思っておりますので、時々覗かせて頂きます。

空兵さん コメントありがとうございます。
どの農家でも経営的に成り立たなくなった農業に代わり家計を支えているのがサラリー収入なのですが、そのような時代の変化を年寄りは理解できないようです。(理解したくないのかも知れません)
集落の集まりでも、大日本帝国憲法下の日本か或いは北朝鮮では、と思われる場面が多々あります。
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