書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

写真をいろいろ。

2011年03月04日 13時54分28秒 | 日記

 近所の猫です。それぞれ別の猫ですが、兄弟らしいです。近所の人達に可愛がってもらっているらしく、のびのび暮らしています。

 去年の夏に撮った蝶です。種類は知りません。日陰だったのでシャッタースピードが遅くてブレまくりです。

 上野の辺りで撮影した花なんですが。肉眼で見ると花びらもシベの部分の紫色だったのですが、写真ではどうしても青に写ります。なんでも赤外線の影響があるらしいのですが、撮った本人的には不思議な現象です。

 なんだか可愛らしい自動車が銀座に走っていました。イタリア製のフィアットっていうメーカーだそうで、軽自動車らしいです。

 なんだかゴツい自動車が芝三丁目交差点を横切りました。アメリカ製のハマーとかいう軍用車両だそうで、米軍かと思いましたが、白ナンバーだったので国内登録されている乗用車のようです。

 小名木川の工事現場にあった作業機械です。なんだか甲殻機動隊のロボットみたいで不思議です、何をする機械なんですかね。最初は張り出した脚で歩き回るのかと思いましたが、キャタピラがついているので、脚の方は倒れないようにするアウトリガーのようです。ということはクレーンかな。

 秋葉原のUDXビルの前にある海藻屋さんです。高層ビルの谷間に木造平屋建て、トタン屋根の小売店が残っているんです。ちょっと違和感です。

 でわまた。



検索。

2011年03月04日 13時19分41秒 | 日記
 ネットで検索をしていると、時折既に無くなったページが表示されていることがある。

 ページ管理者的には、既に「削除。」したページが、いつまでも検索で表示されるのは嫌なのだが、検索サイトには削除した旨を受け付けるシステムがあるのだろうか。削除要請者の本人確認など、面倒臭い手続きは必要なのだろうが。やってできないことはないだろう。

 一度や二度、接続できなかったからといって、それを即ランクから自動的に削除するのも問題があって。実際にはページ自体は存在するけど、サーバーの不具合で繋がらなかっただけかも知れないので、そういう場合は残しておいて欲しいところである。

 しかし、ページを管理している側としては、探している人に対して、見せたいページはあるのに、たまたま検索に載っていたページを削除したために「繋がらない。」の一言で済まされてしまうのは、ちょっと切ない。検索エンジンでは普通、ヒットしたページへのリンクだけではなく、ブログ全体とかサイトのトップへのリンクも、下に小さく表示されるので。どうせならページが見つからなかった場合にはトップページを表示するかどうかも尋ねたらどうだろうか。

 検索エンジンでヒットしたリンク先をクリックしても「ページが見つからない。」だけで済ますというのは、何か手抜き感が否めない。もう少し工夫があってもいいかな。

 私の場合、ソネットブログにある程度の「書き残し。」が放置してあるので、その時の読者がこちらのgooブログに辿り着けているかどうかはわからない。ソネットブログの方はログイン画面が「証明書の不一致。」に陥っているので、怖くて入ることができない。だから、ソネットブログの方にはこちらのgooブログへの誘導もできないので、なんだか切ない。

 でもまぁ、ソネットブログよりはアクセスIPが増えたので、良しとしておきますかね。でわまた。




自己。

2011年03月04日 00時40分18秒 | 意識論関連
 土居健朗著、「甘え。」の構造。っていう本には、「自己中心的な人間に、自己はない。」ことについて触れている。

 一見すると、自己矛盾に見えるこの一文であるが。実は自己矛盾ではない。この一文に用いられる「自己。」というものの定義が本当は複数存在するのである。

 既に存在している自己としての「既存在。」と。今現在においてのみ行動選択可能性を持った「現選択。」である。これを先の一文に当て嵌めると。

 「既存在する自己に忠誠忠実な人間というのは、現選択可能性を持った自己がないからである。」

 となる。かえってややこしいかな。

 自己中心的な人間っていうのは、自律的には自分自身の行動を選択できていない。既に存在しているだけの「ヒト。」としての存在でしかないってこと。

 自己中心的な人間っていうのは、先天的に組み込まれた本能とか欲望や、後天的に社会環境から刷り込まれた固定観念でしか行動が決定されないってこと。そこに本質的な自律的な判断が全く存在しないから、人間としての「自己はない。」ってことになる。

 難解かな。サルトルとかソシュールよかは簡単だと思うんだけどな。

 自己については、また今度改めて書いてみようと思う。でわまた。