刑法っていうのは、実は正義ではない。
刑法に基づく裁判で係争されるのは、単に刑罰の「妥当性。」だけであって。そこには何ら論理的な正当性は存在しない。
これは、ものすごい「そもそも論。」なので。誰も言及していない、ある種のタブーでもある。
つい先日も、殺人で何十年だか服役して。刑期を終えるなり数週間でまた殺人をした奴がいたでしょ。そいつが再犯したことを誰が責任とるんでしょう。
司法制度上、法律手続きに従って裁判を行い、科料を決定する。しかも基準は「妥当性。」のみ。「懲役○年。」とか「罰金○○万円。」なんていうのは、被告が起こした罪との論理的な関係性が全くない。過去の判例を参考に判事が「こんなもんかな。」なんつって決めただけのものでしかない。それが犯罪自体の再発防止の論理的根拠には全くならない。
実はおいらは刑法廃止論者。別に奇をてらっているわけではなくて、ちゃんと論理的根拠があるのさ。
ただ、この話をすると必ず出てくるのが「被害者感情。」ってやつ。被害者とか遺族の気持ちを考えると、罰を与えるのは仕方がないって話。でも、これってちょっとおかしな話で、被害者とか遺族の感情を考慮に入れるっていうなら、加害者の感情は考慮に入れないのは不公平なんじゃないかな。
加害者の感情っていうのは「むしゃくしゃしたから。」とか。「ムカついた。」なんて話を考慮に入れるのは目茶苦茶だよね。むしろそうした感情を自律的に抑制しなかった加害者の理性の欠落こそが問題なんじゃないかね。にも関わらず、被害者や遺族の方だけは感情論が優先しちゃうのは理論的におかしい。社会の安全性っていうのは感情によって担保されるわけではなくて、あくまで合理性のある手法を用いることが重要なんだからね。被害者だからって感情論自体が正当化できるって訳じゃないはずなんだからね。
一方で被害者や遺族の中には「被告に罰を与えるかどうかよりも、再発防止を優先してください。」って望む人達もいるんだけど。こういう理性的な人達っていうのは少数派であるだけでなく。そもそも現在の刑法制度の下においては被告にどのような罰を与えるか以上のなにものも行うようにできていない。つまり、「再発防止を優先してください。」って言われても、現在の司法にとっては「知らないよ。」ってことなのさ。
だから本当は政府直属の犯罪解析委員会みたいな機関を設立して、犯罪というものを失敗学や危険学のような工学的な見地から、ヒトという種としての習性や傾向性を分析し、個人が自律的に公益倫理的な判断を失う原因と、そこから再発防止に対してどのような対策ができるのかを研究するべきなんだと思う。でも、現在の生物学系の脳科学者を主導に行っても駄目だろうね。やはり失敗学、危険学といった工学的な見地から原因究明をしないと、全く役に立たないからね。長谷川真理子みたいに「将来殺人事件が増えるか、減るか、どうなるか楽しみ。」なんて言っているバカでは、何の役にも立たないことは間違いないからね。脳科学者達も、やはり効果のない脳トレ類で世間ウケばかりを求めて、一向に「ヒトが人間である所以。」といったものに真摯に向き合う姿勢が全くないから、駄目だろうね。だからこの話は現在の生物学や脳科学界の再構築をした後の話だね。
航空機事故解析委員会のように、悪者が誰かを決めることを優先せずに。失敗学や危険学といった工学的な見地から原因究明と、それに伴う再発防止が優先される手法は。なぜか犯罪では用いられてこなかった。これは理性的な犯罪被害者や遺族の方達に対する詐欺行為にも当たるんじゃないかな。
同じ「ヒト。」でありながら、なぜ、「人間。」として自律的に自分の行動を選択できないのか。それは生物学的な結果論の枚挙では全く解析することができない。あくまで工学的にヒトという生物が陥りやすい思考とは何かを解析しないと、「人間。」が「ヒト。」を理解することはできないからね。
生物学者っていうのは、本当は誰一人として「ヒト。」については興味がないんだ。だからチンパンジーばっかり研究していたり。あるいは犯罪の増減に対して「他人事。」なんだ。こういう無関心な研究者ばっかりだから、実用的な具体的業績が全く出てこないわけ。だって感心がないんだから、当然のことなのさ。彼らには問題意識自体全くないからね。そっちの方をどうにかするのが先なのさ。でわまた。
刑法に基づく裁判で係争されるのは、単に刑罰の「妥当性。」だけであって。そこには何ら論理的な正当性は存在しない。
これは、ものすごい「そもそも論。」なので。誰も言及していない、ある種のタブーでもある。
つい先日も、殺人で何十年だか服役して。刑期を終えるなり数週間でまた殺人をした奴がいたでしょ。そいつが再犯したことを誰が責任とるんでしょう。
司法制度上、法律手続きに従って裁判を行い、科料を決定する。しかも基準は「妥当性。」のみ。「懲役○年。」とか「罰金○○万円。」なんていうのは、被告が起こした罪との論理的な関係性が全くない。過去の判例を参考に判事が「こんなもんかな。」なんつって決めただけのものでしかない。それが犯罪自体の再発防止の論理的根拠には全くならない。
実はおいらは刑法廃止論者。別に奇をてらっているわけではなくて、ちゃんと論理的根拠があるのさ。
ただ、この話をすると必ず出てくるのが「被害者感情。」ってやつ。被害者とか遺族の気持ちを考えると、罰を与えるのは仕方がないって話。でも、これってちょっとおかしな話で、被害者とか遺族の感情を考慮に入れるっていうなら、加害者の感情は考慮に入れないのは不公平なんじゃないかな。
加害者の感情っていうのは「むしゃくしゃしたから。」とか。「ムカついた。」なんて話を考慮に入れるのは目茶苦茶だよね。むしろそうした感情を自律的に抑制しなかった加害者の理性の欠落こそが問題なんじゃないかね。にも関わらず、被害者や遺族の方だけは感情論が優先しちゃうのは理論的におかしい。社会の安全性っていうのは感情によって担保されるわけではなくて、あくまで合理性のある手法を用いることが重要なんだからね。被害者だからって感情論自体が正当化できるって訳じゃないはずなんだからね。
一方で被害者や遺族の中には「被告に罰を与えるかどうかよりも、再発防止を優先してください。」って望む人達もいるんだけど。こういう理性的な人達っていうのは少数派であるだけでなく。そもそも現在の刑法制度の下においては被告にどのような罰を与えるか以上のなにものも行うようにできていない。つまり、「再発防止を優先してください。」って言われても、現在の司法にとっては「知らないよ。」ってことなのさ。
だから本当は政府直属の犯罪解析委員会みたいな機関を設立して、犯罪というものを失敗学や危険学のような工学的な見地から、ヒトという種としての習性や傾向性を分析し、個人が自律的に公益倫理的な判断を失う原因と、そこから再発防止に対してどのような対策ができるのかを研究するべきなんだと思う。でも、現在の生物学系の脳科学者を主導に行っても駄目だろうね。やはり失敗学、危険学といった工学的な見地から原因究明をしないと、全く役に立たないからね。長谷川真理子みたいに「将来殺人事件が増えるか、減るか、どうなるか楽しみ。」なんて言っているバカでは、何の役にも立たないことは間違いないからね。脳科学者達も、やはり効果のない脳トレ類で世間ウケばかりを求めて、一向に「ヒトが人間である所以。」といったものに真摯に向き合う姿勢が全くないから、駄目だろうね。だからこの話は現在の生物学や脳科学界の再構築をした後の話だね。
航空機事故解析委員会のように、悪者が誰かを決めることを優先せずに。失敗学や危険学といった工学的な見地から原因究明と、それに伴う再発防止が優先される手法は。なぜか犯罪では用いられてこなかった。これは理性的な犯罪被害者や遺族の方達に対する詐欺行為にも当たるんじゃないかな。
同じ「ヒト。」でありながら、なぜ、「人間。」として自律的に自分の行動を選択できないのか。それは生物学的な結果論の枚挙では全く解析することができない。あくまで工学的にヒトという生物が陥りやすい思考とは何かを解析しないと、「人間。」が「ヒト。」を理解することはできないからね。
生物学者っていうのは、本当は誰一人として「ヒト。」については興味がないんだ。だからチンパンジーばっかり研究していたり。あるいは犯罪の増減に対して「他人事。」なんだ。こういう無関心な研究者ばっかりだから、実用的な具体的業績が全く出てこないわけ。だって感心がないんだから、当然のことなのさ。彼らには問題意識自体全くないからね。そっちの方をどうにかするのが先なのさ。でわまた。