書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

断熱。

2011年03月31日 23時25分43秒 | 日記
 やっぱり今年の夏には電力が足りないらしい。

 個別の家庭において、真夏にエアコン止めるのは結構辛い。特に東京23区内とかは。

 日本の家屋っていうのは、一般的に断熱性が低いことが指摘されてきた。家屋の断熱をどのようにしたらできるだろうか。

 一番断熱の悪いのが窓である。真夏に直射日光が当たる窓の場合。サッシュが触れない程熱くなることがある。これをどうしよう。

 最も効果的と思えるのは、スタイロフォームのような断熱材で窓自体を塞いでしまうことである。これによって断熱にはなるのだが、光の透過率が低く、色も青いので、部屋は暗くなってしまう。断熱材というのは結構価格も安くはない。

 断熱材として、エアキャップは効果があるんだろうか。何枚か重ねることで、空気の層を作れるはずなので、断熱効果もあると思うのだが。エアキャップの場合、一般に広く普及しているので、比較的安価に入手可能である。どの程度の効果があるのかは試してみないとわからない。

 念のため説明すると、エアキャップとは、いわゆる指で潰して楽しむ「プチプチ。」シートのことである。

 段ボールはどうだろう。中の波状構造の方向によっては対流を促し断熱効果に違いが出そうなので横向きにした方が良さそうである。切り口を塞げば縦でも同じかな。光を通さないのでガラス部分ではなく、サッシュ枠部分には使えそうである。もちろん一枚というよりは数枚重ねた方が効果はありそうである。

 スタイロフォームの場合は、それなりに難燃性をもたせてあるのだが。エアキャップとか段ボールの場合は火気厳禁である。ガスコンロの近傍では使えないし、タバコも危険である。

 屋内だけでなく、屋外でも対策はあるだろう。ヨシズとかスダレを窓の外に掛けることで、直射日光を軽減できる。屋内対策と組み合わせることでより効果的であろう。

 蔓性植物を窓の外に這わせるのも、もちろん効果的だろう。

 最上階の場合、天井からの熱も結構あるので、一軒家の場合は最上階は昼間使わなければ良いだろう。屋根に何かを被せることは危険なので、やめた方が良さそうである。

 断熱が充分にされていれば、エアコンを止めても暫くは扇風機だけでも暑さは凌げるはずである。最悪停電になったら扇風機も回らないので、停電にならなくても電力ピーク時にはエアコンは止めておきたいところだ。

 大画面テレビというのも、結構電気を食うので、電力ピーク時には消しておきたい。大画面テレビは流行りにのって普及してしまったので厄介だ。

 テレビは情報ソースとしてはあまりにメジャーなので、これが見れないと、リアルタイムで情報が入らなくなって、いつまでエアコンを止めておかなければならないのかがわからなくて困る。5インチくらいのワンセグテレビが安価に入手できるといいのだが、

 テレビの場合、音量を小さくするのも多少効果がある。イヤホンとかヘッドホンで視聴するのも効果的だ。画面表示のメニューで「明るさ。」を暗くしても多少の効果がある。しかし、基本的にテレビは点いていること自体で電力消費がほとんど決まってしまうので、小型ワンセグテレビにしておくのがベストかな。

 今このブログを書いている東芝アンドロイド端末は、消費電力5ワットということになっている。ディスプレイ輝度最大での値なので、暗くすればさらに下がる。そもそもバッテリーが入っているので、緊急時には電源から抜いても使える。地震の時にはNHK総合を無料配信していたのだが、果たして停電時にUQワイマックスが使えるかどうかである。停電してしまえばどのみち情報収集にも意味がないからどっちでもいいのかな。

 当然、テレビよりはラジオの方が電力は少なくて済む。報道の方でも、電力需要をリアルタイムで伝えてもらうと、いつまで、どこまで節電すれば良いのかがわかるので。何か方法を考えておいて欲しい。

 まだ、うっすら寒い季節なので、真夏のことは想像し難い。裸になって風呂場で水をかぶれば暑さ対策にはなるのだが、去年それをやって腹を壊した。これは若い人でないと難しいかも知れない。

 寒さ対策であれば、着込むなり布団に潜り込むなり対策もあろうが。暑い場合は裸になる以上には脱ぎようがないので、あとは水を浴びるくらいしか方法がない。

 太っている人は痩せるという方法もあるが、そうなるとマツコデラックスみたいのは絶望的である。3か月で一体何ができる。ああいうのは水に漬けておくとか、極端な方策が必要であろう。デブだからといって、エアコンブン回されたらたまらないからな。

 やっぱり動力エアコンがあるといいな。人力だとどの程度の冷房効果があるんだろう。運動していれば水浴びていても腹が冷えすぎることもないからな。数時間運動するならジムに通っていると思えば良い。電力消費が足りてから冷やせれば、いい汗かけそうである。

 1キロワットのモーターというのは、人力換算で何人分なんだろう。調べてみよう。でわまた。

 追記:

 動力を電気に変換して、再び動力で回すと、損失が20%から30%ほど出るらしい。

 インバーター制御のモーターだと、効率が物凄くよくて、98%も動力変換できるらしい。それでも、動力を電気に変えるのには聞いたことがない。どうなんだろう、できないのならやっぱり途中変換はしないに越したことはないんだろう。

 1キロワットはおよそ1.35馬力に相当するそうで、人力の場合は自転車関連のサイトによると、ツールドフランスの優勝者でも、480ワット程度しかないそうである。冷蔵庫程度ならなんとかなりそうだけど、エアコンはムリそうだな。そういえば個人空間だけを冷却するクーラーっつうのを研究していた機関があったような。あれは何ワットくらいあればいいのだろう。

 カセットボンベ式発電機は、ボンベ2本で2時間12分、900ワットだそうである。変換効率を考慮にいれれば、エアコンのコンプレッサーなら、なんとかなりそうだけど。どうなんだろう。カセットボンベ式エアコンって。うるさいのかな。作ればの話だけど。

 大規模施設であれば、ガスタービン発電とか考えているらしいから、それなら動力で直接エアコンのコンプレッサー回した方が効率は良いはず。問題は開発までの時間があまりになさすぎることだな。



不謹慎。

2011年03月31日 15時52分48秒 | 日記
 福岡県の水道水を「セシウムウォーター。」って名付けて売ったら不謹慎だな。

 成分表に「セシウム137:560ベクレル」とかって。

 ああ、何とかならんかな、原発。

効果。

2011年03月31日 15時15分42秒 | 意識論関連
 川島隆太らによる、脳トレを用いた認知症改善方法には、一定の効果は存在する。川島は、この脳トレによって、認知症の進行を抑制、あるいは改善が見られる「場合もある。」と、医学的な見地による発言「も。」している。

 にも関わらず、予防に対しての臨床的実証も何もないのに、「強いて勉めるのが、勉強だ。」などと、急に観念を振り回す。

 本当に予防効果があるかどうかは、実際に何十年も後の話である。

 「改善効果があるから、もしかすると予防にもなるのかも知れない。」というのなら間違いではなかった。

 茂木健一郎の世間的なウケ狙いにあやかって、「柳の下の、どぜう。」を狙って大衆迎合したのが間違いの元である。

 他にもいるぞ、お前らタダで済むと思うなよ。

 認知症治療に関しての研究では、一定の評価はされても良い。しかし、短絡的に予防に言及するのは間違いである。

 生物学も同様である。チンパンジーの研究がしたいのなら、チンパンジーにだけ言及しておけば良いのである。生物学なら、それだけで充分である。

 世間的なウケ狙いで「人間としての社会性。」に興味もないのに言及するから、訳のわからぬ観念になるのである。



 笹本式のような金儲けは、「一匹見つけたら、一万匹はいると思え。」

 リンクしているなら、きちんと読め。そうとしか言いようがない。

 社会的な成功というのは結果論である。成功したか、しないか。そんなことはどうでも良いのである。

 「企業としての在り方。」というのは、社会貢献が主体でなければならない。その持続においての付随的なものがビジネス「金儲け。」でなければならない。

 他人を食い物にするビジネスモデルというものに持続可能性はない。お互いが食い物にしていれば、最終的に社会が崩壊するのは必然だからである。

 とても丈夫な、使いやすい鍋を作った会社があった。その鍋は非常に人気があって、みんなが買ったのだけど。あまりに出来が良すぎて、壊れなかった。

 そのため、買い替え需要がほとんどなかったために、結局その会社は潰れてしまったという。

 「正直者は、バカを見る。」と思うのは短絡的である。充分に鍋が行き渡った時点で、次の商品を開発するべきだったのである。

 こうしたことに「気付く。」ことが重要なのである。漫然と鍋だけ作っていれば良いと「思い込む。」ことが間違いなのである。

 無意識に、漫然と行動しているから、世の中おかしくなるのである。

川島式。

2011年03月31日 14時33分39秒 | 意識論関連
 川島隆太がしっかりしないから、笹本式だとかいう胡散臭い話が出てくるのである。

 しっかりせい、川島。

 なんでも、川島は脳トレ類の権利は一切受け取っていないという。

 本気で認知症を治療しようというなら、AKBなんぞとTVCMに出ている場合ではない。

 医者として、学者として、やるべきことがあるだろう。とっととやれ、バカたれが。





?。

2011年03月31日 14時07分32秒 | 意識論関連
 何だか、自分の言っている内容に論理整合性が欠けている気がしてきた。

 自閉症に関する意見は、あくまで「患者。」からの心情的な感覚、観念を述べたものであるから。科学的とは言えないだろう。

 子供の場合、構造的に自律判断がないのは当然である。子供なんだから、勝手な判断をされたら危険だからである。

 だから、子供に対して本質的意識云々を論ずるのは、どう考えてもおかしい。

 あくまで、子供の立場に立って考えるべきなのである。

 その意味において、大人の側が無意識的に、機械手続き的条件反射で大衆の知能論に基づいた価値観を子供に押し付けるのは間違いである。

 おかしいかな。言ってることが。

 臨床的な検証がない現時点において、これを断言するのが間違いであろうか。

 この部分に関しては、意見として捉えていただければ良いかと。

 急にトーンダウンしたな。

 言い訳がましいかな。


 よくわからん。

 認知症にせよ、自閉症にせよ、臨床への言及自体は常に科学的であるとは限らない。意見の一つとして扱って頂くのは当然であろう。

 違うか?。

 違うと思った人がいたらコメントくれ。


 追記:

 前の記事を読み直してみたが、「おそらく。」と、予測であることを明記してあったので、論理整合性は保たれているはずである。

 大丈夫か?。

 自問自答。常に自己検証は忘れてはならない。自分が完全であると思った時点でオカルトに陥る可能性があるからだ。





笹本式。

2011年03月31日 13時50分07秒 | 意識論関連
 何やら「笹本式。」だとか言う認知症改善方の勧誘サイトからトラックバックがついた。

 簡単に認知症が改善するなら、ブログ上に書けよ。何で金取るんだ。おかしい。

 認知症の方を抱えるご家庭の、「藁にもすがる。」思い、感情を利用して金儲けをするんじゃない。

 トラックバック先を見てみたが、意味がわからない。

 そもそもトラックバックって何だ?。リンクとかじゃないのか。とりあえずググってみる。

 でわまた。


 追記:

 トラックバックされた先を閲覧したが、リンクしている部分が見つからなかった。どういうことなのだろう。意味不明。

 とりあえずトラックバック自体を削除した。

 認知症が改善する方法論があるならば、それは無料公開すれば良い。公開しないというのは金儲けに利用しているだけであり、悪辣である。

 きちんとした臨床的事実に基づいた改善方法論でなければ、そんなものは勝手な観念でしかないのである。

 全く。

 バカしか読んでいないのか。呆れるばかりだ。




論理。

2011年03月31日 11時32分00秒 | 意識論関連
 人間科学として、「ヒト。」という種の動物としての行動習性への理解、解析を行うことによって。これを工学的な見地から危険行為の再発防止とか危険回避への方策の再構築性の基礎中の基礎として、本質的な意識への論理的理解。論理的認識が必要なのである。

 それに対して生物学や哲学は、従来の非論理的観念を振り回すだけの害悪を撒き散らしているだけであり。これは糾弾されなければならない。

 科学哲学っていうのは、基本的には喧嘩屋というか、ノーベル賞の益川さんとかは「いちゃもん屋。」っつってたけど。迎合したら成立しない。ポパーも喧嘩しかしなかった。


 無意識的行動の結果論の枚挙に依る安全性の証明とは、科学的には「反証され得ない。」ものであり、「概ね安全である。」ことしか証明していない。

 臨床とかはそれで許される。患者の個人差による治療効果とか安全基準なんて、全てを把握していなくても構わない。

 放射線耐性だって、偶発的に極端に弱い人がいたとしても、臨床ではそこに「病名。」をつけて「症例。」報告をすればいいだけ。

 色素性乾皮症とかは、「普通の人。」なら概ね大丈夫な紫外線でも皮膚が爛れてしまう病気だけど、それは臨床的には特殊扱いすることによって、紫外線は極端に当たらなければ特に大きな害はないってことになってる。

 一応、癌治療とかで、それなりに放射線耐性に対する知見というのはあるけれど、決して科学的に「絶対安全。」なんてことは断言できない。

 もしかして、放射線に対して遺伝的に極端に耐性が低い人がいたとしても、新しく「病名。」をつけて、症例報告をすればいいだけ。

 だから「臨床は、科学ではない。」ってこと。

 いきなりこれだけ読んだ人は、もしかして恐怖心を煽られたかも知れないけど、私の論じている本質的な意識というのは、論理的理解を促すものであって、感情的に「不安。」かどうかに対して意識的に抑制することの重要性を述べているのであるから、ヒステリックに怖がらなくてよい。というか怖がるな。


 だから、私の論じている本質的意識についての話というのは、「患者。」が読むものではなくて、研究者とかが読むべきもの。

 だから、怖かったら読まない方がいいかもです。

 だけど、多くの人が怖がるからって、多数決的に研究者が無視してよい理由にはならんからな。臨床であっても同じである。

 科学の持つ厳格さというのは、感情的な固定観念に惑わされることなく。徹底的に理論的「理解。」力を要求されることにある。それができないというなら、科学に携わる適性に欠けるということである。

 観念的な「わかったような気分。」と、理論的な「理解。」とを厳格に区別できなければ科学ではないのである。

 哲学に「科学。」とついてないからといって、論理的な検証性を持たないというのは精神的な怠慢である。ポパーが論ずるように、科学と哲学は普遍性を持たなければならないのである。気分的高揚なんぞ追求しているのは、哲学ではなく新興宗教のでっちあげにしかならない。

 芸術の類であれば構わない、最初から「お伽話。」であることが明言されていれば、公益倫理的な行動判断に影響はないからである。占いだって、占いだって言ってるから信じた者がバカなだけで話は済む。

 しかし、科学者として発言するのであれば、占い師的な「人生相談。」だとか、テレビゲームを「脳に良い。」とか断言するのはペテン、嘘でしかない。

 哲学者として、「気分的な高揚。」の追求をするのは、もはや宗教である。お前ら自分のことを何様だと思っているんだ。

 ヒトという種の生物であるにも関わらず、「人間以上の何者。」を持ち出している時点で論理的矛盾なのである。

 学生達は、教授の言うことに対して反論することは教授の気分を損ね、成績に関わると思って反論しないであろう。それこそ、私の言うことなど、哲学界全体に対する反論であるから、体制に迎合するだけのバカ学生なら、バカ教授に反論などしない。

 この文章を読んで、「ああ、こういう意見もあるんだな。」的に勝手な解釈をでっちあげて気分的に満足することも可能である。

 それは「バカの論理。」に過ぎない。





自慰的。

2011年03月31日 01時12分05秒 | 意識論関連
 自慰的という言葉を思い出した。それなら多数他人にどうにかしてもらえば、自慰的ではないというのか。

 変態じゃん。

 自分の欲望ぐらい、自分でなんとかしてくれよ。

 自分のケツの穴くらい、テメーで拭けよ。

 これだからバカは嫌いなんだ。

 考えが「浅い。」んだよな。

 どっかで聞いたようなことしか言わない。

 無能者が無能なのは、思考の深度が足らないからである。

 自発的に考えていないからに他ならない。

 GrapeVineの詩みたいだな。

 「豚の皿。」か。