お昼過ぎに今晩の宿を取っている広島に到着した。
折角だから、可部線に乗ってみる。
随分昔に一度当時の終点、三段峡まで乗った記憶が有るが、今では何も覚えていない。
広島を出た列車は横川まで東海道線を走り、その先で本来の可部線に入る。
横川を出るとすぐに太田川の鉄橋を渡り、大きく進路をかえ川に沿って北上する。
広島市のベットタウン化された市街地を走るので、どこも駅間が短く、家々の軒先をかすめるように、川と一緒になって大きく蛇行しながら進む。
どの駅でも乗客の乗り降りは多く、さながら市内電車のようでもある。
大凡中間地点の大町で広島市の新交通システム、アストラムラインと交差する。
40分ほどで終点可部に到着する。
ここまでは14キロ程、電化された短い路線で、12もの駅がある。

本来はこの先に三段峡まで46キロ余りの非電化区間が有ったが、赤字を理由に2003年12月に廃止されたと言う。
もともとの計画では、山陰本線の浜田に接続される事になっていたらしい。
廃止された後、線路や駅舎などの施設はそのまま残され、存続のための募金活動や第三セクター化の検討も行われた。
しかしそう言った活動のどれもが日の目を見ることは無かったと言う。


ホームからは、まだ少し先に続く線路が見えるので、「線路残っていますね」と改札近くにいたベテラン風の駅員に話しかけると、こんな話を聞かせてくれた。
駅前の観光案内板にも、三段峡までの旧線の路線図がそのまま残されていた。(続)
にほんブログ村
折角だから、可部線に乗ってみる。
随分昔に一度当時の終点、三段峡まで乗った記憶が有るが、今では何も覚えていない。
広島を出た列車は横川まで東海道線を走り、その先で本来の可部線に入る。
横川を出るとすぐに太田川の鉄橋を渡り、大きく進路をかえ川に沿って北上する。
広島市のベットタウン化された市街地を走るので、どこも駅間が短く、家々の軒先をかすめるように、川と一緒になって大きく蛇行しながら進む。
どの駅でも乗客の乗り降りは多く、さながら市内電車のようでもある。
大凡中間地点の大町で広島市の新交通システム、アストラムラインと交差する。
40分ほどで終点可部に到着する。
ここまでは14キロ程、電化された短い路線で、12もの駅がある。

本来はこの先に三段峡まで46キロ余りの非電化区間が有ったが、赤字を理由に2003年12月に廃止されたと言う。
もともとの計画では、山陰本線の浜田に接続される事になっていたらしい。
廃止された後、線路や駅舎などの施設はそのまま残され、存続のための募金活動や第三セクター化の検討も行われた。
しかしそう言った活動のどれもが日の目を見ることは無かったと言う。


ホームからは、まだ少し先に続く線路が見えるので、「線路残っていますね」と改札近くにいたベテラン風の駅員に話しかけると、こんな話を聞かせてくれた。
駅前の観光案内板にも、三段峡までの旧線の路線図がそのまま残されていた。(続)
