簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

啄木の故郷・渋民村(JR全線乗潰しの旅)

2012-10-01 | Weblog
 花輪線を行く殆どの列車は、好摩から先渋民・滝沢などIGRいわて銀河
鉄道の線路に入り終点の盛岡を目指す。
 この区間はかつての東北本線、2002年12月に、東北新幹線の八戸まで
の延伸に伴って私鉄の路線に成ったところだ。



 次の渋民は、当時の南岩手郡日戸村で生まれた詩人・石川啄木が、生後
間もなく移り住んだ故郷として知られたところだ。


 
 40年ほど前、雪深い当地を訪れた頃は、古い茅葺の農家が建っていた。
病のため帰郷した啄木が過ごした、斎藤家の建物である。(下写真)

 今ではその隣に啄木が代用教員として教鞭を取った渋民村尋常小学校
の建物も移築され、辺りは啄木記念館として整備されているらしい。

“かにかくに 渋民村は恋しかり おもいでの山 おもいでの川”



 東に姫神山、西に岩手山、その中を取り持つように流れる大河・北上川
などを臨む自然豊かなこの地を懐かしみ、恋焦がれて彼は歌を詠んでいる。

“ふるさとの 山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな”



 当時二つの山を望む北上川の岸辺には柳が密生していたと言う。
啄木は、こうした風景を思い浮かべては、望郷の念に駆られ涙していた。

“やはらかに 柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに”



 明治45年4月、啄木は腹膜炎と肺結核を患い、不遇の内に27年の余り
にも短い生涯を終えている。

“病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目に青空の煙かなしも”

 僅かな停車時間に車窓から見た渋民の駅が、遥か遠い昔のセピア色
した懐かしい記憶を走馬灯のように甦らせてくれた。(続)


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