七尾線は、七尾を出ると大きく進路を変えて、能登半島を横切るように西海
岸の羽咋に向け、長閑な里山の、切株の広がる田園風景の中を淡々と進む。
車窓からは、穏やかな稜線の能登の山並みが、薄らと雪化粧を施しているの
が見える。

こんな列車にのんびりと揺られ、車窓を流れる風景をぼんやりと眺めてい
たら、かつて能登半島を訪ねた時のことが走馬灯のように甦ってきた。

能登へは、昭和40年代の前半、社会人に成ってすぐの頃が最初である。
当時走っていた名古屋発高山線経由の富山行、夜行急行「ひだ」(もしかし
たら「のりくら」だったかも)に、ウイスキーの小さなポケット壜を持ち込ん
で乗った事を覚えている。

その後半島をどうやって回ったのかは、どういう訳かほとんど記憶がない。
当時七尾線が和倉温泉の先、穴水まで行き、そこから輪島まで伸びていた。
また鉄道は、穴水から先の半島先端近くへは、蛸島まで行っていた筈だから、
おそらくそんな電車を、折々利用していたのであろうが、とんと記憶がない。
僅かにどこかでバスに乗り、どこかで随分と歩いて回った記憶が有るが、
これも定かには思い出せない。

その後も何度か訪ねているが、そのほとんどがドライブ旅行である。
永平寺で父の納骨を済ませ、その足で半島を回った時も、友らと金沢の駅
前でレンタカーを借り回ったことも二度三度とあった。

こんな能登の地は、何度来ても飽くことが無い。
見る景色も吹く風も、食べ物も、人情にも、何時来ても故郷のように懐かし
さを感じる。「能登は優し土までも」だ。(続)


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岸の羽咋に向け、長閑な里山の、切株の広がる田園風景の中を淡々と進む。
車窓からは、穏やかな稜線の能登の山並みが、薄らと雪化粧を施しているの
が見える。

こんな列車にのんびりと揺られ、車窓を流れる風景をぼんやりと眺めてい
たら、かつて能登半島を訪ねた時のことが走馬灯のように甦ってきた。

能登へは、昭和40年代の前半、社会人に成ってすぐの頃が最初である。
当時走っていた名古屋発高山線経由の富山行、夜行急行「ひだ」(もしかし
たら「のりくら」だったかも)に、ウイスキーの小さなポケット壜を持ち込ん
で乗った事を覚えている。

その後半島をどうやって回ったのかは、どういう訳かほとんど記憶がない。
当時七尾線が和倉温泉の先、穴水まで行き、そこから輪島まで伸びていた。
また鉄道は、穴水から先の半島先端近くへは、蛸島まで行っていた筈だから、
おそらくそんな電車を、折々利用していたのであろうが、とんと記憶がない。
僅かにどこかでバスに乗り、どこかで随分と歩いて回った記憶が有るが、
これも定かには思い出せない。

その後も何度か訪ねているが、そのほとんどがドライブ旅行である。
永平寺で父の納骨を済ませ、その足で半島を回った時も、友らと金沢の駅
前でレンタカーを借り回ったことも二度三度とあった。

こんな能登の地は、何度来ても飽くことが無い。
見る景色も吹く風も、食べ物も、人情にも、何時来ても故郷のように懐かし
さを感じる。「能登は優し土までも」だ。(続)



