簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

平家にあらずんば (JR全線乗り潰しの旅)

2014-02-14 | Weblog
 「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した平大納言時忠は、清盛亡き後、
平家一族を率い壇ノ浦で源氏に最後の一戦に臨む。しかし、一門は敗れ西
海で海の藻屑と消え去り、自身は生きながら捉えられるも助命される。



 『とげとげしい葛藤もなく、陰謀、争乱など、栄花もない代わりに修羅もない
辺土の民となって、せめてこの世を終わりたい・・・』
(吉川英治全集38「新・平家物語(六)「平大納言の処決」より)
奥能登の地に流罪の身となった挙句、大谷の里で波乱に富んだ生涯を終えた。



 時忠亡きあとを継いだ子の時国は、輪島近くの現在地に移り住み、館を構
えたものの時の鎌倉幕府を憚って平の姓を捨て、名の時国を姓として名乗り、
その後土地の名主として繁栄し、今日に伝えられてきた。



 日本海の荒々し波を受け、男性的な景観を見せる曽々木海岸を行く国道
を離れ、内陸方面に少し行くと平野を見下ろす高台にその時国家の豪壮な
邸宅が建っている。


(写真提供:石川旅ネット)

(写真提供:石川旅ネット)

 茅葺の大屋根を持つ入母屋造りの上時国家は、その正面に唐破風造りの
玄関を構えていて、民家とは言え、豪農として長きにわたって繁栄し、江戸時
代には苗字帯刀をも許された格式の高さを窺わせている。
 現在の建物は江戸末期に、30年近くもかけて作られたもので、北陸地方でも
最大規模を誇る木造建築で、国の重要文化財に指定されている。



 ここから300mほど離れたところには分家の下時国家も有る。
古い鎌倉時代の書院造り様式を備えて堅固な農家作りの建物で、こちらも
国の重要文化財に指定されている。(続)






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