四国を回る遍路は、88番札所・大窪寺で満願を迎えると、引き続きお礼参りと
称して1番札所・霊山寺に戻り、その後高野山・金剛峰寺に向かい、その奥の院・
大師御廟にお参りし、結願するのが一般的な作法とされている。

まだ修行の道場・土佐路で難行を強いられているころ、この高野山行について、
何となく相棒との間では「どうせ行くのなら・・・」と、この時点では無謀ともいえる
思いがお互いの胸中に燻り始めていた。

この土佐路の海岸を歩いているころ、足の裏は肉刺だらけであった。
歩き続けるほどに足の裏はヒリヒリと熱くなる。指と指は擦れて痛くなる。

やがてそんなところには肉刺が出来、その肉刺は進むほどに大きくなり、やがて
潰れ、体液が出る。靴の中でふやけた皮は忽ち剥け、柔らかな薄桃の皮膚は瞬く
間に裂けてそこからは血が滲んでくる。

そんな足をテープでぐるぐる巻きにして、引きずるようにして歩いていた頃である。
何でこんなに苦労しながら・・・、痛い思いをしながら・・・、歩いているのだろうか?
誰に頼まれたわけでも無いのに、格段の信仰心が有るわけでも無いのに、特別に
願をかけているわけでも無いのに・・・。

こまで頑張ってきたのだから、もうこんなもんで良いではないか、止めてしまっても
いいのでは・・・。いや、やっぱりやめられない、せっかくここまで来ているのだから・・・。

そんな葛藤にいつも心の中では自問自答が続いていた頃である。
「高野山、歩いて行きたいね」
この先満願が迎えられるかどうかも知れぬのに、こんなことを考え始めていた。(続)


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称して1番札所・霊山寺に戻り、その後高野山・金剛峰寺に向かい、その奥の院・
大師御廟にお参りし、結願するのが一般的な作法とされている。

まだ修行の道場・土佐路で難行を強いられているころ、この高野山行について、
何となく相棒との間では「どうせ行くのなら・・・」と、この時点では無謀ともいえる
思いがお互いの胸中に燻り始めていた。

この土佐路の海岸を歩いているころ、足の裏は肉刺だらけであった。
歩き続けるほどに足の裏はヒリヒリと熱くなる。指と指は擦れて痛くなる。

やがてそんなところには肉刺が出来、その肉刺は進むほどに大きくなり、やがて
潰れ、体液が出る。靴の中でふやけた皮は忽ち剥け、柔らかな薄桃の皮膚は瞬く
間に裂けてそこからは血が滲んでくる。

そんな足をテープでぐるぐる巻きにして、引きずるようにして歩いていた頃である。
何でこんなに苦労しながら・・・、痛い思いをしながら・・・、歩いているのだろうか?
誰に頼まれたわけでも無いのに、格段の信仰心が有るわけでも無いのに、特別に
願をかけているわけでも無いのに・・・。

こまで頑張ってきたのだから、もうこんなもんで良いではないか、止めてしまっても
いいのでは・・・。いや、やっぱりやめられない、せっかくここまで来ているのだから・・・。

そんな葛藤にいつも心の中では自問自答が続いていた頃である。
「高野山、歩いて行きたいね」
この先満願が迎えられるかどうかも知れぬのに、こんなことを考え始めていた。(続)


