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新見を出ると伯備線は、25‰で吉備高原を上り次の布原に向かう。
ここは嘗て新見と備中神代の間に新しく設けられた信号所が有ったところ。
信号所とは単線区間に有って旅客の扱いをせず列車を停車させ、行き違
いなどをするための信号が設けられた場所のことで、現在でも、特急・やくも
などが行き違いのための停車をしている。
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当時の駅は仮設扱いであったが、ここには駅舎もあり、駅員もいたと言う。
一部では主に写真の撮影で訪れる客旅の取り扱いも行われていたようだ。
駅になったのは比較的新しく昭和62年のことである。
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その昔この地では、SLが三重連で活躍していた。
深い山と渓谷、急勾配の鉄路、黒煙をモクモクと吐き出し悪戦苦闘する蒸
気機関車をカメラにおさめる撮影のポイントとして多くのファンで賑わった。
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写真家の中村由信氏は自身の写真集「汽車」の後書きにこんなことを書
き残している。
『伯備線はD51の三重連で大変に有名になって、(中略)休みの日に写しに
行こうものなら、二、三百人のファンが群がってどうにもならない有様』
と述べている。(写真集「汽車」昭和46年7月 写真評論社)
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当然今では無人駅で駅舎も取り壊され、痕跡は何も残されていない。
一般に地方の駅前でよく見る乱雑に停められた自転車も、自動車も見当た
らず、勿論人の姿など見ることもさえもなく閑散としている。
それもそのはず周囲に人家は殆どなく、一日の乗客数も極めてゼロに近い
少なさで、近頃では秘境駅としての知名度だけが上がっている。(続)
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