「信州の山谷を水源として流れ落ちる急流」の大井川。
嘗ての暴れ川も、今では幾つかの支流・分流が集められ両側の堤防で
締め切られていて、緑豊かな広い川原を有し、その間を流れる川幅は
広く、水量も豊かである。
水深はおよそ乳通り、満々と水をたたえ、まるで海のように波立ち
流れる川。筋骨隆々の川越え人足が担ぐ蓮台には、悠然と座して煙管
煙草をふかす女達の姿。黒く連なる対岸は島田宿の山並み。その先に
白く輝く富士。錦絵「東海道川尽 大井川の図(1857年 歌川国久
イセ芳版)」では、このように描かれている。
当時の大井川は、今ほど川筋が定まってはいなかったであろうから、
深みは人足の力を借りて渡り、その前後では足下の覚束ない川原を難
儀して歩いていたのであろう。
それは歌川広重描く「東海道五十三次之内 嶋田 大井川駿岸」や、
「金谷 大井川遠岸」では広い川原と幾筋もの川が描かれているので
窺い知ることが出来る。
難儀の末無事越えれば、街道は駿河の国から遠江の国へと入って行く。
島田の宿から次の金谷の宿までは、凡一里の距離で、その内三分の一ほ
どが川越えである。旧東海道はその後国道1号線となり、今では一般県
道として永代橋が架けられている。
昭和の初めに架けられた、1026.3mのトラスト橋を渡ると金谷の町だ。
大井川の川越を控えたこの地にも、島田側と同様な川越しの為の川会
所、高札場があり、川越え人夫の控える番宿が10軒ほど立ち並んでいた。
今日の八軒屋橋を渡った先辺りかららしいが、姿を伝える痕跡はほとん
ど何も残されてはいない(続)。
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