簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

西大寺会陽 (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-10-25 | Weblog
 金陵山・西大寺・観音院の会陽は、「天下の奇祭・はだか祭」として
知られている。
これは、旧暦の1月に14日間行われる修正会が満願を迎える日の午前
零時(現在は毎年2月第3土曜日午後10時に変更)、本堂上部の御福窓
から投下される陰陽二本の宝木を裸の男たちが奪い合う勇壮な祭である。





 こんな祭に集まる参詣者を運ぶため、西大寺鉄道では所有する車両や
社員を総動員し、時には臨時の応援を得ながら乗客を捌いていたそうだ。
しかし増結に増結を重ね、フル回転しても溢れかえる乗客を捌き切れず、
オープンなデッキには乗客が溢れ、乗り切れない乗客は強引に車両の屋
根に上るものまで出る始末で有った。沿線にトンネルが無かったからだ。
が、乗れれば良い方で、乗車を諦めて、歩き始める人も多かったらしい。





 何千人もの裸が宝木を争奪する祭が終われば、境内の周辺では一か月
にも渡る後まつりも開かれていた。
屋台や市、猿回し、サーカス、芝居小屋、見世物小屋までが立ち並んだ。
又、昔から岡山は農機具の生産が盛んで、大規模な展示会が開かれたり
もしたらしい。
今日衰退したとは言え、屋台植木市、骨董市等は今も引き継がれている。





 近隣各地から参詣に訪れる善男善女は大層な数に上り、門前町の商店
や出店する屋台などは、この一か月で一年の大半の収入を得たと言うが、
西大寺鉄道も事情は同じであった。

 「備前平野に春を呼ぶ」、と言われる祭りは、春を待ち焦がれる人々
で大いに賑わい、門前の店や鉄道を大層に潤していたと伝えられている。(続)




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