一般的に全国の私鉄の多くは、営業収入の減少による赤字が経営を圧
迫し、それが原因で廃線に追い込まれることが多い中で、この旧西大寺
鉄道は少し事情が違っていた。
鉄道の起点に西大寺観音院と言うドル箱を抱えていたこともあり、旅
客数は確保され、収入も安定し年度毎の決算でも殆ど黒字経営であった。
しかし当時の国鉄が、山陽本線のバイパス的路線として赤穂線の開通
を決めたことで事情は一転、この鉄道の命運が決まってしまった。
これまで鉄道からは取り残されていた西大寺を新線が通り、東岡山と結
ばれるとあって路線は完全に被ってしまい競合する事が避けられない。
庄内川を渡り、県道と用水路に沿ってしばらく行くと、道路脇にやや
年代を感じる二重屋根の平屋家屋が建っている。
何時頃建てられたかは定かではないが、明治44年に開業した旧西大寺鉄
道の「大多羅(おおだら)」駅の駅舎であった建物だ。
現在では地元の目黒集会場として使われている。
一部増築するなど手が加えられているので、駅舎と言われなければ判ら
ないような建物だ。
旧線はその先で県道を外れ東に向け大きくカーブすると、左手には同
じようなカーブを描き、大多羅駅に向かうJR赤穂線が近づいてきて、
駅がその先左手の高台に見えてくる。
駅は昭和37(1962)年延伸開通された旧国鉄のもので、西大寺鉄道の
駅とは400mほどしか離れていない地である。
西大寺鉄道の沿線には、バス路線こそないものの赤穂線の開通は経営
に与える影響は深刻で、相手が国鉄とあっては異議の申し立ても出来ず、
太刀打ちできないとの判断がなされた。
不本意ながら廃線と言う撤退である。(続)
にほんブログ村