簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

巨大古墳群の町(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-02 | Weblog
 安堂で大和川を渡る。
橋の袂の道路脇に、一寸した公園風の緑地が有り、銅像や石碑などが建
てられている。説明によると江戸時代、水はけの悪い河内平野を複雑に入
り組んで流れる旧大和川は度々氾濫し流域の人々は降雨のたびに洪水に
苦しめられていたと言う。



 その付け替え工事に腐心したのが、流域村で庄屋をしていた中甚兵衛と
言う、ここに建つ銅像の人物で、その指は大和川を差している。
幕府の命により工事を請け負ったのは姫路藩で、今から300年以上も前の
ことだ。ここは「大和川治水記念公園」と言う場所である。



 大和川の堤防をおり、近鉄線を過ぎると正面に前方後円墳で、允恭天皇
陵のこんもりとした森が見えて来る。
街道はここでそれに行き当たり、左に直角に折れると余り広くはない旧街道
らしい趣の道に入ってくる。



 右手に見え隠れするのが仲津媛皇后陵で、その手前に道明寺が見えて
来る。真言宗の尼寺らしく、和菓子の材料として知られる道明寺粉は、この
寺の尼僧が粳米を挽き粉状にしたのが始まりとか。
門前に、そんな道明寺(さくらもち)でも売る店が無いものかと、密かに期待
していたが見事に外された。





 西名阪自動車道を越えると、右手に小山が見えて来る。
応神天皇陵と伝わり、墳丘415メートル、全国第二位の大きさを誇る前方後
円墳である。さらにその先には、墓山古墳や日本武尊の白鳥陵、清寧天皇
陵などがあり、多くの古墳が集まる宝庫である。



 ここらあたりは、神社・旧跡など取り巻く景色も良く、古い石の標があり、
案内サインも充実していて、古街道歩きが楽しくなるような道が続く。(続)




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