簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

スイホシと千本松原 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-12 | Weblog


 原宿を後に街道を西に向けて進む。
この辺りの海岸線では、想定される大地震への備えか、巨大な防潮堤が
聳え立っていて、駿河湾を見通すことは出来ない。
右手にJR東田子の浦駅を見て進むと、田子の浦の松並木が見えてくる。



 そんな道中で、昭和放水路を越えるとその岸に増田平四郎の像が建て
られていた。江戸時代、平四郎は大飢饉や度重なる水害から村民を救済
するため、浮島沼の大干拓を計画し、身延山久遠寺から多額の資金援助
を受け、幅7m全長505mの水路をこの位置に完成させた。
地元の人々が「スイホシ」と呼ぶ大排水路である。



 その完成は計画の発案から27年目の明治2(1869)年春の事であった。
しかしあろうことか、その年の夏、高波を受けて苦心の水路は跡形も無く
壊されてしまい、彼の大計画は途中で頓挫してしまった。
この水路は彼の願いを受け継ご、昭和になって完成させたものだ。



 途中で街道を外れ、千本松原に入ってみた。
木陰が作る空間は、気温も多少下がったようで、緑の匂いも感じられ気
持ちがいい。かつては武田勝頼が、合戦に備え伐採してしまい、その後
植林された松林らしい。
近年になって再び伐採計画が持ち上がった折り、保存活動の先頭に立っ
たのが歌人・若山牧水であったそうだ。毎日散歩するこの地を何として
も残したいとペンを持ち、熱弁で訴えたと伝えられている。



 この地では、ふる里をこよなく愛す先人達の熱い思いが有り、結果豊か
な実りをもたらす田畑と、美しい松原が連綿と引き継がれている。
松林越に望む富士山は、そんな人々の営みを変わらぬ姿で見下ろしている。(続)





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