簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

富士山と原宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-10 | Weblog
 旧街道はさほど交通量も多くなく、快適な道が続いている。
右手には時々民家の切れ目から、雄大な富士の姿も見え隠れしている。
多少雲はあるものの、良く晴れた空に山頂付近に雪の残る富士の姿がくっ
きりと浮き上がり、思わず足を止めて見入ってしまう程その姿は神々しい。



 原の町並に入ってきた。
右手に浅間神社、左手にJR原駅が近づいて来ると原の宿場町であるが、
旧町を彷彿させる古い建物等は何も残されてはいない。
どこにもありふれた、ごく普通の町並が両側に続いているだけだ。



 昔はこの辺りが中心地で、浅間神社近くに高札場が有った。
この宿場は本陣1、脇本陣1、旅篭25軒、家数398軒、人口2,000人にも
満たない、「此宿も女郎無し」と言われた小さな規模の宿場である。



 本陣を務める渡邉家は、昔からのこの土地の名士・大地主で、山林や
田畑を合わせると6,600坪を所有していたという。
その本陣は間口が15~17間で、建坪は235坪もあったと伝えられている。
明治維新には、東幸の明治天皇が休憩された場所だ。



 東海道と富士山は切り離しては語れない縁がある。
江戸を出る折、遙か遙か先に霞んでいた山が、この辺りまで来るとどん
どん大きくなり、雄大な裾野まで見通すことが出来るようになる。



 広重の描く「東海道五十三次」の、「原 朝之富士」は、朝日を受け、
淡い紅色に染まる富士の姿をどこよりも大きく身近に捉えて描いている。
そこには仰ぎ見る旅人の姿も描かれ、当時の人々が富士の姿に勇気づけら
れていた様子を窺い知ることが出来る。(続)





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