当時の西大寺鉄道は非電化で、ドイツ・コッペル社製等の蒸気機関車
が5両導入され、客車は10両あり、それ以外に貨物用の車輌を8両程保
有していたらしい。
全線単線であるが、廣谷は2面2線ホームを持ち、行き違いが出来た。
この鉄道は平野部を走り、沿線は地勢的に農業用水路の多い処だけに、
小さな橋梁は幾つもかけられていたようだ。
また山際を避けて敷設されていたので沿線にトンネルも無く、道路の跨
線橋の下を潜ることも無かったのがこの路線の大きな特徴でもあった。
保育園に隣接した「廣谷」駅を出た鉄道廃線跡は、左手に芥子山を望
みながらその先で進路をやや南に振りJRの赤穂線とは離れ、そのまま
終着駅・西大寺市(町村合併で現在は岡山市東区となったが、当時は西
大寺市)を目指す。
途中砂川を歩道橋で渡るが、この川の中には橋梁の基礎部分が残され
ているらしく、川の水量が少ないときなどは顔を見せると言う。
しかし生憎この日は二三日前に降った雨のせいか、その姿を目にするこ
とは出来なかった。
その先で国道2号線の高架下道路を歩道橋で越える。
当時はこのバイパス道路も、広い高架下道路も通ってはいなかったので、
線路は当然平面で敷設してあった。
高架下道路を歩道橋で越えた専用道路は、民家や会社の建物の間を緩
やかに下りながら、終着の西大寺バスターミナルの広い敷地の中へと吸
い込まれて行く。
そこは昭和37(1962)年、旧国鉄赤穂線の開通を尻目に、同年に廃止
された鉄道の跡地に設けられた鉄道に変る交通の拠点施設である。(続)
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