簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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駅名の変更  (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-10-11 | Weblog
 右手に芥子山小学校、左に旭東公民館を見てそこを過ぎると少し先
に公園風に整備された地に、「廣谷」駅の跡を示す駅名標が立てられ
ている。

 ここは当初の駅名を「松崎」と言ったが、当時の鉄道院から、院線
との紛らわしい駅名は全て変更せよと強い下命があり、「廣谷」駅に
改称されている。

 元々松崎地区にあるから駅名に不思議は無いが、なぜ変更後が、同
じ小学校区とは言え、随分と東に離れた「広谷」に決められたのかは、
今一つ解せないものがある。





 思うに、それには観音院の存在が深く関わっているのではないかと
推測をしてみる。

 西大寺観音院の年間を通じて最大の行事と言えば、毎年2月の第3
土曜日に開催される、会陽(はだか祭)である。
その行事は19日前の「事始め」により始まり、その3日後には、重要
な儀式である「宝木取り」と言う行事が行われる。





 深夜零時になると数名の総代が、手甲・脚絆・菅傘姿で提灯を下げ、
観音院を出る。
片道4㎞の道を1時間ほど掛けて歩き、そこで宝木となる原木を受け取
って又同じ道を帰ってくる。
この間の道中では原木に魔が入らないよう、一切無言で通されると言う。

 授かった原木は削り形を整え、その後14日間の「修正会」で祈念をし、
香が焚き込まれ、結願の当日「宝木」として裸群に投下される。





 その原木を授けるのが、芥子山の中腹、広谷に位置する、「廣谷山・
妙法寺・無量寿院」と号す高野山真言宗派の寺院である。

 はだか祭とは、切っても切れない重要な所縁のある寺院である。
観音院にとってはだか祭りは、年間収入の大半をもたらす打ち出の小槌
とも言える存在である。
そんな事情から所縁の深い寺の知名度をも高めようとの忖度があっての
改名で、本当は「廣谷山無量寿院前」と言う駅名にしたかったのでは?
と思って見たりもするが、これでは如何にも長すぎるから短くした。
等と考えてみるが、真意の程は解らない。(続)




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