簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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一朝有事の備え(東海道歩き旅・山城の国)

2024-08-26 | Weblog


 街道を整備した江戸幕府は江戸への防護策として、各宿場町の前後に
多くの社寺を整備し、一朝有事に備えたと言われている。
この四ノ宮から山科に到る街道筋にも多くの社寺が鎮座し、さながら寺
町を構成し、都への押さえとなっているようだ。



 諸羽神社は街道筋からは300m程北に有る神社で、貞観4(862)年、
清和天皇の勅命で建てられた古社である。
山科十八郷の中で第四位に当たる「四ノ宮」とされ、古くから近郷の産
土神と崇められてきたという。
四ノ宮という地名は、この社に由来するとの説も有るらしい。



 更にそこから600m程北にあるのが瑞光院である。
嘗ては赤穂・浅野家の祈願寺で、臨済宗大徳寺派の寺院であった。
忠臣蔵で知られる大石内蔵助が建立した赤穂藩浅野長矩公の墓が有り、
赤穂義士46人の遺髪を埋葬した塔を中心とした廟所として知られている。



 そこから200m程北に行った突き当りが、山科の毘沙門堂門跡である。
枝振りが見事な春の枝垂れ桜、新緑の夏、勅使門に続く階段がトンネルに
なる秋の紅葉、白銀に覆われる冬、これらと朱色の本殿との対比が美しく、
人気が高い観光寺院という。



 街道筋にある円光寺は、真宗大谷派の寺院で旧道に大きな石柱が建ち、
そこから参道が延び、京急の踏切の向こう側が境内のようだ。
鎌倉時代の創建という浄土宗のお寺、九品山・来迎寺もある。
街道を外れ、これらの社寺を訪ねたいところだが余力は無い。(続)



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