『その昔、お石という女性が当地に有った丸石の近くで、俄にお腹が
痛くなった。丁度その時通りかかった男が介抱してくれるのだが、男は
この付近を荒らす山賊である。お石が懐にお金を持っていると知ると殺
してしまった。このとき不思議なことに妊娠していたお石の傷口から男
の子が生まれた。そしてお石の霊魂は、そばにあった丸い石に乗り移り、
夜ごとに石は泣くようになった。
寺の和尚が読経してその石を慰め、泣いていた子を引き取って飴で
育てたという。成長した男の子は、大和国で刀研ぎ師の弟子となった。
ある日、刃こぼれを研ぎにきた男にその原因を問うと、十数年前の凶
行を聞かされ敵と知り、名乗りを上げて見事母の敵を討ったと言う。』
「小夜の中山」の久延寺の建つこの辺りには、こんな悲しい「夜泣
石伝説」が残されていた。
「峠 上り立場 あめのもち名物売り」
寺の門前周辺は、鎌倉時代から接待茶屋が建っていた場所で、このよ
うに伝わる茶店が立ち並んでいたと言う。寺の和尚が子育てに用いた
水飴や、餅に水あめを絡ませた飴餅がしきりに売られていたようだ。
寺の少し先に、古色の木看板に「あふきや」と書かれている古びた商
家が建っている。江戸時代から続く末広荘・扇屋という茶店で、「名物
子育飴」を売る、今日に残るただ一軒の店である。
餅米と麦芽を原料にした水飴で、餅に水飴をまぶしたものを、旅人に
饗している。ここでは今でも昔ながらの製法で作られた水飴が売られて
いて、カフェも併設されている。どうやら営業は人出の見込まれる休日
だけらしく、今日は生憎と閉まっていた。(続)
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